四

 朝起きると春雨はるさめがしとしとと降っていた。
 ぬれた麦の緑と菜の花の黄いろとはいつもよりはきわだって美しく野をいろどった。村の道をじゃがさが一つ通って行った。
 清三は八時過ぎに、番傘ばんがさを借りて雨をついて出た。それには三田ヶ谷村役場と黒々と大きく書きつけてあった。
 小川屋のかたわらの川縁かわべりの繁みからは、雨滴あまだれがはらはらと傘の上に乱れ落ちた。びた黒い水には蠑螈いもりが赤い腹を見せている。ふと街道の取つきの家から、小川屋のお種という色白娘が、白い手拭いで髪をおおったまま、傘もささずに、大きな雨滴あまだれの落ちる木陰こかげを急いで此方こなたにやって来たが、二三歩前で、清三と顔見合わせて、ちょっと会釈えしゃくして笑顔を見せて通り過ぎた。
 学校はまだ授業が始まらぬので、門から下駄箱の見えるほとりには、生徒の傘がぞろぞろと続いた。男生徒も女生徒も多くは包みを腰のところにしょって尻をからげて歩いて来る。雨の降る中をぬれそぼちながら、傘を車の輪のように地上に回して来る頑童わっぱもあれば、傘の柄をくびのところで押さえて、編棒あみぼうと毛糸とを動かして歩いて来る十二三の娘もあった。この生徒らを来週からは自分が教えるのだと思って、清三はその前を通った。
 明方あけがたから降り出した雨なので、みちはまだそうたいして悪くなかった。車や馬の通ったところはグシャグシャしているが、拾えば泥濘どろにならぬところがいくらもある。路のふちの乾いた土には雨がまだわずかにしみ込んだばかりであった。
 井泉村の役場に助役を訪ねてみたが、まだ出勤していなかった。路に沿った長い汚ないどぶには、あしの新芽や沢瀉おもだかがごたごたとえて、淡竹またけの雨をおびたやぶがその上におおいかぶさった。雨滴あまだれがばらばら落ちた。
 路のほとりに軒のかたむいた小さな百姓家があって、壁にはすきくわや古いみのなどがかけてある。髪の乱れた肥ったかかあが柱によりかかって、今年生まれた赤児あかごに乳を飲ませていると、亭主らしい鬚面ひげづらの四十男は、雨に仕事のできぬのを退屈そうに、手を伸ばして大きなあくびをしていた。
 鎮守ちんじゅの八幡宮の茅葺かやぶきの古い社殿は街道から見えるところにあった。華表とりいのかたわらには社殿修繕の寄付金の姓名とたかとが古く新しく並べて書いてある。周囲しゅういけやきの大木にはもう新芽がきざし始めた。賽銭さいせん箱の前には、額髪ひたいがみを手拭いで巻いた子傅こもりが二人、子守歌を調子よくうたっていた。
 昨日の売れ残りのふかし甘薯いもがまずそうに並べてある店もあった。雨は細く糸のようにそのひくき軒をかすめた。
 畑にはようやく芽を出しかけた桑、眼もさめるように黄いろい菜の花、げんげやすみれや草のえているあぜ、遠くに杉やかしの森にかこまれた豪農の白壁しらかべも見える。
 青縞を織る音がところどころに聞こえる。チャンカラチャンカラと忙しそうな調子がたえず響いて来る。時にはあたりにそれらしい人家も見えないのに、どこで織ってるのだろうと思わせることもある。うたが若々しい調子で聞こえて来ることもある。
 発戸河岸ほっとかしのほうにわかれるみちかどには、ここらで評判だという饂飩うどん屋があった。朝から大釜おおがまには湯がたぎって、あるじらしい男が、大きなのべ板にうどん粉をなすって、せっせと玉を伸ばしていた。赤いたすきをかけた若い女中が馴染なじみらしい百姓と笑って話をしていた。
 路の曲がったところに、古い石が立ててある。維新前からある境界石で、「これより羽生領はにゅうりょう」としてある。
 ひょろ長いはんの片側並木が田圃たんぼの間に一しきり長く続く。それに沿って細い川が流れてえ出した水草のかげを小魚こうおがちょろちょろ泳いでいる。羽生から大越おおごえに通う乗合馬車が泥濘どろを飛ばして通って行った。
 来る時には、路傍みちばたのこけらぶきの汚ない屋の二階の屋根に、襟垢えりあかのついた蒲団ふとんが昼の日ののどかな光に干されて、下では蒼白い顔をした女がせっせとものをしていたが、今日は障子がびっしゃりと閉じられて、日当たりの悪いところには青ごけの生えたのが汚なく眼についた。
 だんだん道が悪くなって来た。拾って歩いてもピシャピシャしないようなところはもうなくなった。足のかかとを離さないようにして歩いても、すりへらした駒下駄からはたえずがあがった。風が出て雨も横しぶきになってそでもぬれてしまった。
 羽生の町はさびしかった。時々番傘や蛇の目傘が通るばかり、ひさしの長く出た広い通りは森閑しんかんとしている。郵便局の前には為替かわせを受け取りに来た若い女が立っているし、呉服屋の店には番頭と小僧とがかたまって話をしているし、足袋たび屋の店には青縞と雲斎織うんさいおりとがみ重ねられたなかで、職人がせっせと足袋たびを縫っていた。新式に硝子がらす戸の店を造った唐物屋とうぶつやの前には、自転車が一個、なかばは軒の雨滴あまだれにぬれながら置かれてある。
 町の四辻には半鐘台はんしょうだいが高く立った。
 そこから行田道ぎょうだみちはわかれている。煙草屋たばこや、うどん屋、医師いしゃの大きな玄関、へいの上にそびえている形のおもしろい松、吹井ふきいが清い水をふいている豪家の前を向こうに出ると、草のえたみぞがあって、白いペンキのはげた門に、羽生分署という札がかかっている。巡査が一人、剣をじゃらつかせて、雨の降りしきる中を出て来た。
 それからまた裏町の人家が続いた。多くはこけらぶきの古い貧しい家みである。馬車屋の前に、乗合馬車が一台あって、もう出るとみえて、客が二三人乗り込んでいた。清三は立ちどまって聞いたが、あいにくいっぱいで乗せてもらう余地がなかった。
 清三の姿はなおしばらくその裏町の古い家並みの間に見えていたが、ふと、とある小さな家の大和障子やまとしょうじをあけてはいって行った。中には中年のかみさんがいた。
「下駄を一つ貸していただきたいんですが……、弥勒みろくから雨に降られてへいこうしてしまいました」
「お安いご用ですとも」
 かみさんは足駄あしだを出してくれた。
 足駄あしだの歯はすれて曲がって、歩きにくいこと一通りでなかった。駒下駄こまげたよりはいいが、はやっぱり少しずつあがった。
 かれはついに新郷しんごうから十五銭で車に乗った。

       五

 家は行田町ぎょうだまちの大通りから、昔の城址しろあとのほうに行く横町にあった。かどに柳の湯という湯屋があって、それと対して、きれいな女中のいる料理屋の入り口が見える。棟割むねわり長屋を一軒仕切ったというような軒の低い家で、風雨にさらされて黒くなった大和障子やまとしょうじに糸のような細い雨がはすに降りかかった。隣にはかいこ仲買なかがいをする人が住んでいて、その時節になると、狭い座敷から台所、茶の間、入り口まで、白いまゆでいっぱいになって、朝から晩までごたごたと人が出はいりするのが例であるが、今はてつけの悪い障子がびっしゃりとしまって、あたりがしんとしていた。
 清三は大和障子をがらりとあけて中にはいった。
 年のころ四十ぐらいの品のいい丸髷まるまげった母親が、裁物板たちものいたを前に、あたりにはさみ、糸巻き、針箱などを散らかして、せっせと賃仕事をしていたが、障子があいて、子息せがれの顔がそこにあらわれると、
「まア、清三かい」
 と呼んで立って来た。
「まア、雨が降ってたいへんだったねえ!」
 ぬれそぼちた袖やら、はねのあがったはかまなどをすぐ見てとったが、言葉をついで、
「あいにくだッたねえ、お前。昨日の工合いでは、こんな天気になろうとは思わなかったのに……ずっと歩いて来たのかえ」
「歩いてようと思ったけれど、新郷しんごうに安いかえり車があったから乗って来た」
 見なれぬ足駄あしだをはいているのを見て、
「どこから借りて来たえ、足駄あしだを?」
峰田みねだで」
「そうかえ、峰田で借りて来たのかえ……。ほんとうにたいへんだったねえ」こう言って、雑巾ぞうきんを勝手から持って来ようとすると、
「雑巾ではだめだよ。おっかさん。バケツに水を汲んでくださいな」
「そんなに汚れているかえ」
 と言いながら勝手からバケツに水を半分ほど汲んで来る。
 乾いた手拭てぬぐいをもそこに出した。
 清三はきれいに足を洗って、手拭いで拭いて上にあがった。母親はその間に、結城縞ゆうきじまの綿入れと、自分のつむぎ衣服きものを縫い直した羽織とをそろえてそこに出して、脱いだ羽織とはかまとを手ばしこく衣紋竹えもんだけにかける。
 二人はやがて長火鉢の前にすわった。
「どうだったえ?」
 母親は鉄瓶てつびんの下に火をあらけながら、心にかかるその様子ようすをきく。
 かいつまんで清三が話すと、
「そうだってねえ、手紙が今朝着いたよ。どうしてそんな不都合なことになっていたんだろうねえ」
「なあに、少し早く行き過ぎたのさ」
「それで、話はどうきまったえ?」
「来週から出ることになった」
「それはよかったねえ」
 喜びの色が母親の顔にのぼった。
 それからそれへと話は続いた。校長さんはどういう人だの、やさしそうな人かどうかの、弥勒みろくという所はどんなところかの、下宿するよいところがあったかのと、いろいろなことを持ち出して母親は聞いた。清三はいちいちそれを話して聞かせた。
「おとっさんは?」
 しばらくして、清三がこうきいた。
「ちょっと下忍しもおしまで行ッて来るッて出かけて行ったよ。どうしても少しおあしをこしらえて来なくってはッてね……。雨が降るから、明日あしたにしたらいいだろうと言ったんだけれど……」
 清三は黙ってしまった。貧しい自分の家のことがいまさらに頭脳あたまにくり返される。父親の働きのないことがはがゆいようにも思われるが、いっぽうにはまた、好人物こうじんぶつで、善人で、人にだまされやすい弱い鈍い性質を持っていながら、贋物にせもの書画しょがを人にはめることを職業にしているということにはなはだしく不快を感じた。正直なかれの心には、父親の職業は人間のすべき正業ではないようにつねに考えられているのである。
 だまされさえしなければ、今でも相応そうおうな呉服屋の店を持っていられたのである。こう思うと、何も知らぬ母親に対する同情とともに、正業でない職業とはいいながら、こうした雨の降る日に、わずか五十銭か一円の銭で、一里もあるところに出かけて行く老いた父親を気の毒に思った。
 やがて鉄瓶てつびんがチンチン音を立て始めた。
 母親は古い茶箪笥ちゃだんすから茶のはいったかん急須きゅうすとを取った。茶はもうになっていた。火鉢の抽斗ひきだしの紙袋には塩煎餅しおせんべいが二枚しか残っていなかった。
 清三は夕暮れ近くまで、母親の裁縫しごとするかたわらの暗い窓の下で、熊谷くまがやにいる同窓の友に手紙を書いたり、新聞を読んだりしていた。友の手紙には恋のことやら詩のことやら明星みょうじょう派の歌のことやら我ながら若々しいと思うようなことを罫紙けいしに二枚も三枚も書いた。
 四時ごろから雨ははれた。路はまだグシャグシャしている。父親が不成功で帰って来たので、家庭の空気がなんとなく重々しく、親子三人黙って夕飯をっていると、「ご免なさい」という声を先にたてて、てつけの悪い大和障子やまとしょうじをあけようとする人がある。
 母親が立って行って、
「まア……さあ、どうぞ」
「いいえ、ちょっと、湯に参りましたのですが、帰りにねえ、貴女あなた、お宅へあがって、今日は土曜日だから、清三さんがお帰りになったかどうか郁治いくじがうかがって来いと申しますものですから……いつもご無沙汰ばかりいたしておりましてねえ、まアほんとうに」
「まア、どうぞおかけくださいまし……、おや雪さんもごいっしょに、……さア、雪さん、こっちにおはいりなさいましよ」
 と女同士はしきりにしゃべりたてる。郁治の妹の雪子はやせぎすなすらりとした田舎いなかにはめずらしいいい娘だが、湯上がりの薄く化粧けしょうした白い顔を夕暮れの暗くなりかけた空気にくっきりと浮き出すように見せて、ぬれ手拭いに石鹸箱を包んだのを持って立っていた。
「さア、こんなところですけど……」
「いいえ、もうそうはいたしてはおりませんから」
「それでもまア、ちょっとおかけなさいましな」
 この会話にそれと知った清三は、はしを捨てて立ってそこに出て来た。母親どもの挨拶し合っている向こうに雪子の立っているのをちょっと見て、すぐ眼をそらした。
 郁治の母親は清三の顔を見て、
「お帰りになりましたね、郁治が待っておりますから……」
「今夜あがろうと思っていました」
「それじゃ、どうぞお遊びにおいでくださいまし、毎日行ったり来たりしていた方が急においでにならなくなると、あれもさびしくってしかたがないとみえましてね……それに、ほかに仲のいいお友だちもないものですから……」
 郁治の母親はやがて帰って行く。清三も母親もふたたび茶湯台ちゃぶだいに向かった。親子はやはり黙って夕飯を食った。
 湯を飲む時、母親は急に、
「雪さん、たいへんきれいになんなすったな!」
 とだれに向かって言うともなく言った。けれどだれもそれに調子を合わせるものもなかった。父親の茶漬けをかき込む音がさらさらと聞こえた。清三は沢庵たくあんをガリガリ食った。日は暮れかかる。雨はまた降り出した。

       六

 加藤の家は五町と隔たっておらなかった。公園道のなかばから左に折れて、裏町の間を少し行くと、やがていっぽう麦畑いっぽう垣根かきねになって、夏はくれないと白の木槿もくげが咲いたり、胡瓜きゅうり南瓜とうなすったりした。緑陰りょくいんかさなった夕闇にほたるの飛ぶのを、雪子やしげ子と追い回したこともあれば、寒い冬の月夜を歌留多かるたにふかして、からころと跫音あしおと高く帰って来たこともあった。細い巷路こうじの杉垣の奥の門と瓦屋根、それはかれにとってまことに少なからぬ追憶おもいでがある。
 今日は桜の葉をとおして洋燈らんぷの光がキラキラと雨にぬれて光っていた。雪子の色の白いとりすました顔や、繁子のあどけなくにこにこと笑って迎えるさまや、晩酌に酔って機嫌よく話しかける父親の様子ようすなどがまだ訪問せぬうちからはっきりと目に見えるような気がする。笑い声がいつも絶えぬ平和な友の家庭をうらやましく思ったことも一度や二度ではなかった。
 郡視学といえば、田舎いなかではずいぶんてのするほうで、むずかしい、理屈ぽい、とりつきにくいたちのものが多いが、郁治の父親は、物のわかりが早くって、優しくって、親切で、そして口をきくほうにかけてもかなり重味おもみがあると人から思われていた。ひげはなかば白く、髪にもチラチラまじっているが、気はどちらかといえば若いほうで、青年を相手に教育上の議論などをあかずにして聞かせることもあった。清三と郁治と話しているへやに来ては、二人を相手にいろいろなことを語った。
 門をあけると、ベルがチリチリンと鳴った。踏み石をつたって、入り口の格子戸の前に立つと、洋燈らんぷを持って迎えに出たしげ子の笑顔が浮き出すように闇の中にいる清三の眼にうつった。
「林さん?」
 と、のぞくようにして見て、
「兄さん、林さん」
 と高い無邪気な声をたてる。
 父親は今日熊谷に行って不在であった。子供がいないので、室がきれいに片づいている。掃除も行き届いて、茶の間の洋燈らんぷも明るかった。母親は長火鉢の前に、晴れやかな顔をしてすわっていた。雪子は勝手で跡仕舞あとじまいをしていたが、ちょうどそれが終わったので、白い前掛けで手を拭き拭き茶の間に来た。
 挨拶をしていると、郁治は奥から出て来て、清三をそのまま自分の書斎につれて行った。
 書斎は四畳半であった。きりの古い本箱が積み重ねられて、綱鑑易知録こうかんいちろく、史記、五経、唐宋八家本とうそうはっかぶんなどと書いた白い紙がそこに張られてあった、三尺の半床はんどこ草雲そううんの蘭のふくのかかっているのが洋燈らんぷの遠い光におぼろげに見える。洋燈らんぷったほおの大きな机の上には、明星、文芸倶楽部、万葉集、一葉全集などが乱雑に散らばって置かれてある。
 一年も会わなかったようにして、二人は熱心に話した。いろいろな話が絶え間なく二人の口から出る。
「君はどうまった?」
 しばらくして清三がたずねた。
「来年の春、高等師範しはんを受けてみることにした。それまでは、ただおってもしかたがないからここの学校に教員に出ていて、そして勉強しようとおもう……」
熊谷くまがや小畑おばたからもそう言って来たよ。やっぱり高師を受けてみるッて」
「そう、君のところにも言って来たかえ、僕のところにも言って来たよ」
「小島や杉谷はもう東京に行ったッてねえ」
「そう書いてあったね」
「どこにはいるつもりだろう?」
「小島は第一を志願するらしい」
「杉谷は?」
「先生はどうするんだか……どうせ、先生は学費になんか困らんのだから、どうでも好きにできるだろう」
「この町からも東京に行くものはあるかね?」
「そう」と郁治は考えて「佐藤は行くようなことを言っていたよ」
「どういう方面に?」
「工業学校にはいるつもりらしい」
 同窓に関する話がつきずに出た。清三の身にしては、将来の方針を定めて、てんでに出たい方面に出て行く友だちがこのうえもなくうらやましかった。中学校にいるうちから、卒業してあとの境遇をあらかじめ想像せぬでもなかったが、その時はまたその時で、思わぬ運が思わぬところから向いて来ないとも限らないと、しいて心を安んじていた。けれどそれは空想であった。家庭のうえは日に日にその身を実際生活に近づけて行った。
 かれはまた母親からやさしい温かい血をうけついでいた。幼い時から小波さざなみのおじさんのお伽噺とぎばなしを読み、小説や歌や俳句に若い思いをわかしていた。からだの発達するにつれて、心は燃えたり冷えたりした。町の若い娘たちの眼色めつきをも読み得るようにもなった。恋の味もいつか覚えた。あるデザイアに促されて、人知れず汚ない業をすることもあった。世間は自分の前におもしろい楽しい舞台をひろげていると思うこともあれば、汚ないみにくい近づくべからざる現象を示していると思うこともある。自己のみたしがたい欲望と美しい花のような世界といかになり行くかを知らぬ自己の将来とを考える時は、いつも暗いわびしいたえがたい心になった。
 熊谷にいる友人の恋の話から Art の君の話が出る。
「僕は苦しくってしかたがない」
「どうかする方法がありそうなもんだねえ」
 二人はこんなことを言った。
「昨日公園で会ったんさ。ちょっと浦和から帰って来たんだッて、先生、いたずらに肥えてるッていう形だッた」
 郁治はこう言って笑った。
「いたずらに肥えてるはいいねえ」
 清三も笑った。
「君のシスタアが友だちだし、先生のエルダアブラザアもいるんだし、どうにか方法がありそうなもんだねえ」
「まア、放っておいてくれ、考えると苦しくなる」
 胸にひそかに恋を包める青年の苦しさというような顔を郁治はして見せた。前にみずからも言ったように、郁治は好男子ではなかった。男らしいきっぱりとしたところはあるが、体格の大きい、肩の怒った、眼の鋭い、頬骨の出たところなど、女にかれるような点はなかった。
 若い者の苦しむような煩悶はんもんはかれの胸にもあった。清三にくらべては、境遇もよかった。家庭もよかった。高等師範にはいれぬまでも、東京に行って一二年は修業するほどの学費は出してやる気が父親にもある。それに体格がいいだけに、思想も健全で、清三のようにセンチメンタルのところはない。清三が今度の弥勒みろく行きを、このうえもない絶望のように――田舎いなかうずもれて出られなくなる第一歩であるかのように言ったのを、「だッて、そんなことはありゃしないよ、君、人間は境遇に支配されるということは、それはいくらかはあるには違いないが、どんな境遇からでも出ようと思えば、出て来られる」と言ったのでも、郁治の性格の一部はわかる。
 その時、清三は、
「君はそういうけれど、それは境遇の束縛の恐ろしいことを君が知らないからだよ、つまり君の家庭の幸福から出た言葉だよ」
「そんなことはないよ」
「いや、僕はそう思うねえ、僕はこれっきりうもれてしまうような気がしてならないよ」
「僕はまた、かりに一歩ゆずって、人間がそういう種類の動物であると仮定しても、そういう消極的な考えには服従していられないねえ」
「じゃ、どんな境遇からでも、その人の考え一つで抜け出ることができるというんだねえ」
「そうさ」
「つまりそうすると、人間万能論だね、どんなことでもできないことはないという議論だね」
「君はじきそう極端に言うけれど、それはそこに取りけもあるがね」
 その時いつもの単純な理想論が出る。積極的な考えと消極的な考えとがごたごたと混合して要領を得ずにおしまいになった。
 かれらの群れは学校にいるころから、文学上の議論や人生上の議論などをよくした。新派の和歌や俳句や抒情文などを作って、互いに見せ合ったこともある。一人が仙骨せんこつという号をつけると、みな骨という字を用いた号をつけようじゃないかという動議が出て、破骨はこつだの、洒骨しゃこつだの、露骨ろこつだの、天骨てんこつだの、古骨ここつだのというおもしろい号ができて、しばらくの間は手紙をやるにも、話をするにも、みんなその骨の字の号を使った。古骨というのは、やはり郁治や清三と同じく三里の道を朝早く熊谷にかよった連中れんちゅうの一人だが、そのほんとうの号は機山きざんといって、町でも屈指くっし青縞商あおじましょうの息子で、平生へいぜい角帯かくおびなどをしめて、つねに色の白い顔に銀縁ぎんぶちの近眼鏡をかけていた。田舎いなかの青年に多く見るような非常に熱心な文学きで、雑誌という雑誌はたいてい取って、初めはいろいろな投書をして、自分の号の活字になるのを喜んでいたが、近ごろではもう投書でもあるまいという気になって、毎月の雑誌に出る小説や詩や歌の批評を縦横にそのなかまにして聞かせるようになった。それに、投書家交際づきあいをすることが好きで、地方文壇の小さな雑誌の主筆とつねに手紙の往復をするので、地方文壇消息しょうそくには、武州行田ぶしゅうぎょうだには石川機山きざんありなどとよく書かれてあった。時の文壇に名のある作家も二三人は知っていた。
 やはり骨の字の号をつけた一人で――これは文学などはあまりわかるほうではなく、同じなかまにおつき合いにつけてもらった組であるが、かれの兄が行田町に一つしかない印刷業をやっていて、その前を通ると、硝子戸の入り口に、行田印刷所と書いたインキに汚れた大きい招牌かんばんがかかっていて、旧式な手刷りが一台、例の大きなかえし繰り返し動いているのが見える。広告のき札や名刺がおもで、時には郡役所警察署の簡単な報告などを頼まれてることもあるが、それはきわめてまれであった、棚に並べたケースの活字も少なかった。文選も植字も印刷もあるじがみな一人でやった。日曜日などにはその弟が汚れた筒袖つつそでを着て、手刷り台の前に立って、れた紙をひるがえしているのをつねに見かけた。
 金持ちの息子むすこと見て、その小遣いを見込んで、それでそそのかしたというわけでもあるまいが、この四月の月の初めに、機山がこの印刷所に遊びに来て、長い間その主人兄弟と話して行ったが、帰る時、「それじゃ毎月七八円ずつ損するつもりなら大丈夫だねえ、原稿料は出さなくったってき手はたくさんあるし、それに二三十部は売れるアね」と言った顔は、新しい計画に対する喜びに輝いていた。「行田文学」という小雑誌を起こすことについての相談がその連中の間に持ち上がったのはこれからである。
 機山がその相談の席で、
「それから、羽生はにゅう成願寺じょうがんじに山形古城がいるアねえ。あの人はあれでなかなか文壇には聞こえている名家で、新体詩じゃ有名な人だから、まず第一にあの人に賛成員になってもらうんだね。あの人から頼んでもらえば、原香花はらきょうかの原稿ももらえるよ」
「あの古城ッていう人はここの士族だッていうじゃないか」
「そうだッて……。だから、賛成員にするのはわけはないさ」
 ちょうど清三が弥勒みろくに出るようになった時なので、かれがまずその寺を訪問する責任を仲間から負わせられた。
 その夜、「行田文学」の話が出ると、郁治が、
「寄ってみたかね?」
「あいにく、雨に会っちゃッたものだから」
「そうだったね」
「今度行ったら一つ寄ってみよう」
「そういえば、今日荻生おぎゅう君が羽生に行ったが会わなかったかねえ」
「荻生君が?」と清三は珍しがる。
 荻生君というのは、やはりその仲間で、熊谷の郵便局に出ている同じ町の料理店の子息むすこさんである。今度羽生局に勤めることになって、今車で行くというところを郁治は町のかどで会った。
「これからずッと長く勤めているのかしら」
「むろんそうだろう。羽生の局をやっているのは荻生君の親類だから」
「それはいいな」
「君の話相手ができて、いいと僕も思ったよ」
「でも、そんなに親しくはないけれど……」
「じき親しくなるよ、ああいうやさしい人だもの……」
 そこにしげ子が「昼間こしらえたのですから、まずくなりましたけれど……」とお萩餅はぎを運んで、茶をさして来た。そのまま兄のそばにすわって、無邪気なくちぶりで二ことこと話していたが、今度は姉の雪子がたけの高い姿をそこにあらわして、「兄さん、石川さんが」という。
 やがて石川がはいって来た。
 座に清三がいるのを見て、
「君のところに今寄って来たよ」
「そうか」
「こっちに来たッてマザアが言ったから」こう言って石川はすわって、「先生がうまくつとまりましたかね?」
 清三は笑っている。
 郁治は、「まだできるかできないか、やってみないんだとさ」
 とそばから言う。
 雪子もしげ子も石川の顔を見ると、挨拶あいさつしてすぐ引っ込んで行ってしまった。郁治と清三と話している間は、話に気がおけないので、よく長くそばにすわっているが、他人がまじるとすましてしまうのがつねである。それほど清三と郁治とは交情なかがよかった。それほど清三とこの家庭とは親しかった。郁治と清三との話しぶりも石川が来るとまるで変わった。
「いよいよ来月の十五日から一号を出そうと思うんだがね」
「もうすっかりまったかえ」
「東京からも大家では麗水れいすい天随てんずいとが書いてくれるはずだ……。それに地方からもだいぶ原稿が来るからだいじょうぶだろうと思うよ」
 こう言って、地方の小雑誌やら東京の文学雑誌やらを五六種出したが、岡山地方で発行する菊版二十四ページの「小文学」というのをとくに抜き出して、
「たいていこういうふうにしようと思うんだ。沢田(印刷所)にも相談してみたが、それがいいだろうと言うんだけれど、どうも中の体裁ていさいはあまり感心しないから、組み方なんかは別にしようと思うんだがね」
「そうねえ、中はあまりきれいじゃないねえ」と二人は「小文学」を見ている。
「これはどうだろう」
 と二段十八行二十四字詰めのを石川は見せた。
「そうねえ」
 三人は数種の雑誌をひるがえしてみた。郁治の持っている雑誌もそこに参考に出した。洋燈らんぷひたいを集めた三人の青年とそこに乱雑に散らかった雑誌とをくっきり照らした。
 やがてその中の一つにあらかたまる。
 石川の持って来た雑誌の中に、「明星」の四月号があった。清三はそれを手に取って、初めは藤島武二や中沢弘光の木版画のあざやかなのを見ていたが、やがて、晶子あきこの歌に熱心に見入った。新しい「明星派」の傾向が清三のかわいた胸にはさながら泉のように感じられた。
 石川はそれを見て笑って、
「もう見てる。違ったもんだね、崇拝者すうはいしゃは!」
「だって実際いいんだもの」
「何がいいんだか、国語は支離滅裂しりめつれつ、思想は新しいかもしれないが、わけのわからない文句ばかり集めて、それで歌になってるつもりなんだから、明星派の人たちには閉口するよ」
 いつかもやった明星派是非ぜひ論、それを三人はまたくり返して論じた。

       七

 夜はもう十二時を過ぎた。雨滴あまだれの音はまだしている。時々ザッと降って行く気勢けはいも聞き取られる。城址しろあとの沼のあたりで、むぐりの鳴く声が寂しく聞こえた。
 一室には三つ床が敷いてあった。小さい丸髷まるまげとはげた頭とが床を並べてそこに寝ていた。母親はつい先ほどまで眼を覚ましていて、「明日眠いから早くおやすみよ」といく度となく言った。
「ランプを枕元まくらもとにつけておいて、つい寝込ねこんでしまうと危いから」とも忠告した。その母親も寝てしまって、父親のいびきに交って、かすかな呼吸いきがスウスウ聞こえる。さらぬだに紙のかさが古いのに、先ほどしんが出過ぎたのを知らずにいたので、ホヤが半分ほど黒くなって、光線がいやに赤く暗い。清三は借りて来た「明星」をほとんどわれを忘れるほど熱心にふけった。
椿それも梅もさなりき白かりきわが罪問はぬいろももに見る
 わが罪問はぬ色桃に見る、桃に見る、あの赤い桃に見ると歌った心がしみじみと胸にしみた。不思議なようでもあるし、不自然のようにも考えられた。またこの不思議な不自然なところに新しい泉がこんこんとしてわいているようにも思われた。いろももに見ると四の句と五の句を分けたところに言うに言われぬ匂いがあるようにも思われた。かれは一首ごとに一ページごとに本を伏せて、わいて来る思いを味わうべく余儀なくされた。この瞬間には昨夜役場に寝たわびしさも、弥勒みろくから羽生はにゅうまで雨にそぼぬれて来たつらさもまったく忘れていた。ふと石川と今夜議論をしたことを思い出した。あんなあらい感情で文学などをやる気が知れぬと思った。それに引きかえて、自分の感情のかくあざやかに新しい思潮に触れ得るのをわれとみずから感謝した。渋谷のさびしい奥に住んでいる詩人夫妻の住居ずまいのことなどをも想像してみた。なんだか悲しいようにもあれば、うらやましいようにもある。かれは歌を読むのをやめて、体裁ていさいから、組み方から、表紙の絵から、すべて新しい匂いに満たされたその雑誌にあこがれ渡った。
 時計が二時を打っても、かれはまだ床の中に眼を大きくあいていた。ねずみの天井を渡る音が騒がしく聞こえた。
 雨は降ったりはれたりしていた。人の心を他界に誘うようにザッとさびしく降って通るかと思うと、びしょびしょと雨滴あまだれの音が軒のといをつたって落ちた。
 いつまであこがれていたッてしかたがない。「もう寝よう」と思って、起き上がって、暗い洋燈らんぷを手にして、父母の寝ている夜着のすそのところを通って、かわやに行った。手を洗おうとして雨戸を一枚あけると、縁側に置いた洋燈らんぷがくっきりと闇を照らして、ぬれた南天の葉に雨の降りかかるのが光って見えた。
 障子をてる音に母親が眼を覚まして、
「清三かえ?」
「ああ」
「まだ寝ずにいるのかえ」
「今、寝るところなんだ」
「早くお寝よ……明日が眠いよ」と言って、寝返りをして、
「もう何時だえ」
「二時が今鳴った」
「二時……もう夜が明けてしまうじゃないか、お寝よ」
「ああ」
 で、蒲団ふとんの中にはいって、洋燈らんぷをフッと吹き消した。

       八

 翌日、午後一時ごろ、白縞しろじまはかまけて、借りて来た足駄あしだを下げた清三と、なかばはげた、新紬しんつむぎの古ぼけた縞の羽織を着た父親とは、行田の町はずれをつれ立って歩いて行った。雨あがりの空はややくもって、時々思い出したように薄い日影がさした。町と村との境をかぎった川には、あし白楊やなぎがもう青々と芽を出していたが、家鴨あひるが五六羽ギャアギャア鳴いて、番傘とじゃがさとがその岸に並べて干されてあった。町に買い物に来た近所の百姓は腰をかけてしきりに饂飩うどんを食っていた。
 並んで歩く親子の後ろ姿は、低いひさし地焼じやきかわらでふいた家根や、襁褓むつきを干しつらねた軒や石屋の工作場や、鍛冶屋かじやや、娘の青縞を織っている家や、子供の集まっている駄菓子屋などの両側に連なった間を静かに動いて行った。と、向こうから頭に番台を載せて、上に小旗を無数にヒラヒラさしたあめ屋が太鼓をおもしろくたたきながらやって来る。
 父親は近在の新郷しんごうというところの豪家に二三日前書画のふくを五六品預けて置いて来た。今日行っていくらかにして来なければならないと思って、午後から弥勒みろくに行く清三といっしょに出かけて来たのである。
 ここまで来る間に、父親は町の懇意な人に二人会った。一人は気のおけないなかまの者で、「どこへ行くけえ? そうけえ、新郷へ行くけえ、あそこはどうもな、吝嗇けちな人間ばかりで、ねっかららちがあかんな」と言って声高くその中年の男は笑った。一人は町の豪家の書画道楽の主人で、それが向こうから来ると、父親はていねいに挨拶あいさつをして立ちどまった。「この間のは、どうも悪いようだねえ、どうもあやしい」と向こうから言うと、「いや、そんなことはございません。出所がしっかりしていますから、折り紙つきですから」と父親はしきりに弁解した。清三は五六間先からふり返って見ると、父親がしきりに腰を低くして、頭を下げている。そのはげた額を、薄い日影がテラテラ照らした。
 加須かぞに行く街道と館林たてばやしに行く街道とが町のはずれで二つにわかれる。それから向こうはひろびろした野になっている。野のところどころにはこんもりとした森があって、その間に白堊しらかべの土蔵などが見えている。まだくわを入れぬ田には、げんげが赤い毛氈もうせんを敷いたようにきれいに咲いた。商家の若旦那らしい男が平坦な街道になめらかに自転車をきしらして来た。
 路は野から村にはいったり村から野に出たりした。かしの高い生垣いけがきで家を囲んだ豪家もあれば、青苔あおごけが汚なくえたみぞを前にした荒壁の崩れかけた家もあった。鶏の声がところどころにのどかに聞こえる。街道におろし菓子屋が荷をおろしていると、髪をぼうぼうさせた村の駄菓子屋のかみさんが、帯もしめずに出て来て、豆菓子や鉄砲玉をあれのこれのと言って入用だけ置かせている。
 新郷しんごうへのわかれ路が近くなったころ、親子はこういう話をした。
「今度はいつ来るな、お前」
「この次の土曜日には帰る」
「それまでに少しはどうかならんか」
「どうだかわからんけれど、月末だから少しはくれるだろうと思うがね」
「少しでも手伝ってもらうと助かるがな」
 清三は返事をしなかった。
 やがて別れるところに来た。新郷へはこれから一田圃ひとたんぼ越せば行ける。
「それじゃ気をつけてな」
「ああ」
 そこには庚申塚こうしんづかが立っていた。禿はげ頭の父親が猫背ねこぜになって歩いて行くのと、茶色の帽子に白縞しろじまはかまをつけた清三の姿とは、長い間野の道に見えていた。