小石川の切支丹坂きりしたんざかから極楽水ごくらくすいに出る道のだらだら坂を下りようとしてかれは考えた。「これで自分と彼女との関係は一段落を告げた。三十六にもなって、子供も三人あって、あんなことを考えたかと思うと、馬鹿々々しくなる。けれど……けれど……本当にこれが事実だろうか。あれだけの愛情を自身に注いだのは単に愛情としてのみで、恋ではなかったろうか」
 数多い感情ずくめの手紙――二人の関係はどうしても尋常ではなかった。妻があり、子があり、世間があり、師弟の関係があればこそあえはげしい恋に落ちなかったが、語り合う胸のとどろき、相見る眼の光、その底には確かにすさまじい暴風あらしが潜んでいたのである。機会に遭遇でっくわしさえすれば、その底の底の暴風はたちまち勢を得て、妻子も世間も道徳も師弟の関係も一挙にして破れてしまうであろうと思われた。少くとも男はそう信じていた。それであるのに、二三日来のこの出来事、これから考えると、女は確かにその感情を偽り売ったのだ。自分を欺いたのだと男は幾度も思った。けれど文学者だけに、この男は自ら自分の心理を客観するだけの余裕をっていた。年若い女の心理は容易に判断し得られるものではない、かのあたたかうれしい愛情は、単に女性特有の自然の発展で、美しく見えた眼の表情も、やさしく感じられた態度もすべて無意識で、無意味で、自然の花が見る人に一種の慰藉なぐさみを与えたようなものかも知れない。一歩を譲って女は自分を愛して恋していたとしても、自分は師、かの女は門弟、自分は妻あり子ある身、かの女は妙齢の美しい花、そこに互に意識の加わるのを如何いかんともすることは出来まい。いや、更に一歩を進めて、あの熱烈なる一封の手紙、陰に陽にその胸のもだえを訴えて、丁度自然の力がこの身を圧迫するかのように、最後の情を伝えて来た時、そのなぞをこの身が解いてらなかった。女性のつつましやかなさがとして、その上になおあらわに迫って来ることがどうして出来よう。そういう心理からかの女は失望して、今回のような事を起したのかも知れぬ。
「とにかく時機は過ぎ去った。かの女は既に他人ひと所有ものだ!」
 歩きながらかれはこう絶叫して頭髪をむしった。
 しまセルの背広に、麦稈帽むぎわらぼう藤蔓ふじづるステッキをついて、やや前のめりにだらだらと坂を下りて行く。時は九月の中旬、残暑はまだえ難く暑いが、空には既に清涼の秋気がち渡って、深いみどりの色が際立きわだって人の感情を動かした。肴屋さかなや、酒屋、雑貨店、その向うに寺の門やら裏店うらだなの長屋やらがつらなって、久堅町ひさかたまちの低い地には数多あまたの工場の煙筒えんとつが黒い煙をみなぎらしていた。
 その数多い工場の一つ、西洋風の二階の一室、それが渠の毎日正午ひるから通う処で、十畳敷ほどの広さのへや中央まんなかには、大きい一脚のテーブルが据えてあって、傍に高い西洋風の本箱、この中にはすべて種々の地理書が一杯入れられてある。渠はある書籍会社の嘱託を受けて地理書の編輯へんしゅうの手伝に従っているのである。文学者に地理書の編輯! 渠は自分が地理の趣味を有っているからと称して進んでこれに従事しているが、内心これにあまんじておらぬことは言うまでもない。おくれ勝なる文学上の閲歴、断篇のみを作っていまだに全力の試みをする機会に遭遇せぬ煩悶はんもん、青年雑誌から月毎に受ける罵評ばひょうの苦痛、かれ自らはその他日成すあるべきを意識してはいるものの、中心これを苦に病まぬ訳には行かなかった。社会は日増ひましに進歩する。電車は東京市の交通を一変させた。女学生は勢力になって、もう自分が恋をした頃のような旧式の娘は見たくも見られなくなった。青年はまた青年で、恋を説くにも、文学を談ずるにも、政治を語るにも、その態度が総て一変して、自分等とは永久に相触れることが出来ないように感じられた。
 で、毎日機械のように同じ道を通って、同じ大きい門を入って、輪転機関のいえうごかす音と職工の臭い汗との交った細い間を通って、事務室の人々に軽く挨拶あいさつして、こつこつと長い狭い階梯はしごを登って、さてそのへやに入るのだが、東と南に明いたこの室は、午後の烈しい日影を受けて、実に堪え難く暑い。それに小僧が無精で掃除そうじをせぬので、卓の上には白いほこりがざらざらと心地悪い。渠は椅子に腰を掛けて、煙草たばこを一服吸って、立上って、厚い統計書と地図と案内記と地理書とを本箱から出して、さて静かに昨日の続きの筆を執り始めた。けれど二三日来、頭脳あたまがむしゃくしゃしているので、筆が容易に進まない。一行書いては筆を留めてその事を思う。また一行書く、また留める、又書いてはまた留めるという風。そしてその間に頭脳に浮んで来る考は総て断片的で、猛烈で、急激で、絶望的の分子が多い。ふとどういう聯想れんそうか、ハウプトマンの「さびしき人々」を思い出した。こうならぬ前に、この戯曲をかの女の日課として教えて遣ろうかと思ったことがあった。ヨハンネス・フォケラートの心事と悲哀とを教えて遣りたかった。この戯曲を渠が読んだのは今から三年以前、まだかの女のこの世にあることをも夢にも知らなかった頃であったが、その頃から渠はさびしい人であった。敢てヨハンネスにその身を比そうとはなかったが、アンナのような女がもしあったなら、そういう悲劇トラジディに陥るのは当然だとしみじみ同情した。今はそのヨハンネスにさえなれぬ身だと思って長嘆した。
 さすがに「寂しき人々」をかの女に教えなかったが、ツルゲネーフの「ファースト」という短篇を教えたことがあった。洋燈ランプの光あきらかなる四畳半の書斎、かの女の若々しい心は色彩ある恋物語にあこがれ渡って、表情ある眼は更に深い深い意味をもって輝きわたった。ハイカラな庇髪ひさしがみくし、リボン、洋燈の光線がその半身を照して、一巻の書籍に顔を近く寄せると、言うに言われぬ香水のかおり、肉のかおり、女のかおり――書中の主人公が昔の恋人に「ファースト」を読んで聞かせる段を講釈する時には男の声も烈しくふるえた。
「けれど、もう駄目だ!」
 と、渠は再び頭髪かみをむしった。


 かれは名を竹中時雄とった。
 今より三年前、三人目の子が細君の腹に出来て、新婚の快楽などはとうにめ尽した頃であった。世の中の忙しい事業も意味がなく、一生作ライフワークに力を尽す勇気もなく、日常の生活――朝起きて、出勤して、午後四時に帰って来て、同じように細君の顔を見て、飯を食って眠るという単調なる生活につくづくき果ててしまった。家を引越歩いても面白くない、友人と語り合っても面白くない、外国小説を読み渉猟あさっても満足が出来ぬ。いや、庭樹にわきしげり、雨の点滴てんてき、花の開落などいう自然の状態さえ、平凡なる生活をして更に平凡ならしめるような気がして、身を置くに処は無いほど淋しかった。道を歩いて常に見る若い美しい女、出来るならば新しい恋を為たいと痛切に思った。
 三十四五、実際この頃には誰にでもある煩悶はんもんで、この年頃にいやしい女に戯るるものの多いのも、畢竟ひっきょうその淋しさをいやす為めである。世間に妻を離縁するものもこの年頃に多い。
 出勤する途上に、毎朝邂逅であう美しい女教師があった。渠はその頃この女にうのをその日その日の唯一の楽みとして、その女に就いていろいろな空想をたくましゅうした。恋が成立って、神楽坂かぐらざかあたりの小待合に連れて行って、人目を忍んで楽しんだらどう……。細君に知れずに、二人近郊を散歩したらどう……。いや、それどころではない、その時、細君が懐妊しておったから、不図難産して死ぬ、その後にその女を入れるとしてどうであろう。……平気で後妻に入れることが出来るだろうかどうかなどと考えて歩いた。
 神戸の女学院の生徒で、生れは備中びっちゅう新見町にいみまちで、渠の著作の崇拝者で、名を横山芳子という女から崇拝の情を以て充された一通の手紙を受取ったのはその頃であった。竹中古城と謂えば、美文的小説を書いて、多少世間に聞えておったので、地方から来る崇拝者渇仰者かつごうしゃの手紙はこれまでにも随分多かった。やれ文章を直してくれの、弟子でしにしてくれのと一々取合ってはいられなかった。だからその女の手紙を受取っても、別に返事を出そうとまでその好奇心は募らなかった。けれど同じ人の熱心なる手紙を三通までもらっては、さすがの時雄も注意をせずにはいられなかった。年は十九だそうだが、手紙の文句からして、その表情の巧みなのは驚くべきほどで、いかなることがあっても先生の門下生になって、一生文学に従事したいとの切なる願望のぞみ。文字は走り書のすらすらした字で、余程ハイカラの女らしい。返事を書いたのは、例の工場の二階の室で、その日は毎日の課業の地理を二枚書いてして、長い数尺に余る手紙を芳子に送った。その手紙には女の身として文学に携わることの不心得、女は生理的に母たるの義務を尽さなければならぬ理由、処女にして文学者たるの危険などを縷々るるとして説いて、幾らか罵倒ばとう的の文辞をもならべて、これならもう愛想あいそをつかして断念あきらめてしまうであろうと時雄は思って微笑した。そして本箱の中から岡山県の地図を捜して、阿哲郡あてつぐん新見町の所在を研究した。山陽線から高梁川たかはしがわの谷をさかのぼって奥十数里、こんな山の中にもこんなハイカラの女があるかと思うと、それでも何となくなつかしく、時雄はその附近の地形やら山やら川やらを仔細しさいに見た。
 で、これで返辞をよこすまいと思ったら、それどころか、四日目には更に厚い封書が届いて、紫インキで、青いけいの入った西洋紙に横に細字で三枚、どうか将来見捨てずに弟子にしてくれという意味が返す返すも書いてあって、父母に願って許可を得たならば、東京に出て、しかるべき学校に入って、完全に忠実に文学を学んでみたいとのことであった。時雄は女の志に感ぜずにはいられなかった。東京でさえ――女学校を卒業したものでさえ、文学の価値ねうちなどは解らぬものなのに、何もかもよく知っているらしい手紙の文句、早速さっそく返事を出して師弟の関係を結んだ。
 それから度々たびたびの手紙と文章、文章はまだ幼稚な点はあるが、癖の無い、すらすらした、将来発達の見込は十分にあると時雄は思った。で一度は一度より段々互の気質が知れて、時雄はその手紙の来るのを待つようになった。ある時などは写真を送れと言ってろうと思って、手紙のすみに小さく書いて、そしてまたこれを黒々と塗って了った。女性には容色きりょううものが是非必要である。容色のわるい女はいくら才があっても男が相手に為ない。時雄も内々胸の中で、どうせ文学を遣ろうというような女だから、不容色ぶきりょうに相違ないと思った。けれどなるべくは見られる位の女であって欲しいと思った。
 芳子が父母に許可ゆるしを得て、父にれられて、時雄の門をおとのうたのは翌年の二月で、丁度時雄の三番目の男の児の生れた七夜の日であった。座敷の隣の室は細君の産褥さんじょくで、細君は手伝に来ている姉から若い女門下生の美しい容色であることを聞いて少なからず懊悩おうのうした。姉もああいう若い美しい女を弟子にしてどうする気だろうと心配した。時雄は芳子と父とを並べて、縷々るるとして文学者の境遇と目的とを語り、女の結婚問題に就いてあらかじめ父親の説をたたいた。芳子の家は新見町でも第三とは下らぬ豪家で、父も母も厳格なる基督教信者クリスチャン、母はことにすぐれた信者で、かつては同志社女学校に学んだこともあるという。総領の兄は英国へ洋行して、帰朝後は某官立学校の教授となっている。芳子は町の小学校を卒業するとすぐ、神戸に出て神戸の女学院に入り、其処そこでハイカラな女学校生活を送った。基督キリスト教の女学校は他の女学校に比して、文学に対してすべて自由だ。その頃こそ「魔風恋風」や「金色夜叉こんじきやしゃ」などを読んではならんとの規定も出ていたが、文部省で干渉しない以前は、教場でさえなくば何を読んでも差支さしつかえなかった。学校に附属した教会、其処で祈祷きとうの尊いこと、クリスマスの晩の面白いこと、理想を養うということの味をも知って、人間のいやしいことを隠して美しいことを標榜ひょうぼうするというむれの仲間となった。母の膝下ひざもとが恋しいとか、故郷ふるさとなつかしいとか言うことは、来た当座こそ切実につらく感じもしたが、やがては全く忘れて、女学生の寄宿生活をこの上なく面白く思うようになった。旨味おいし南瓜かぼちゃを食べさせないと云っては、おはちの飯に醤油しょうゆけて賄方まかないかたいじめたり、舎監のひねくれた老婦の顔色を見て、陰陽かげひなたに物を言ったりする女学生の群の中に入っていては、家庭に養われた少女のように、単純に物を見ることがどうして出来よう。美しいこと、理想を養うこと、虚栄心の高いこと――こういう傾向をいつとなしに受けて、芳子は明治の女学生の長所と短所とを遺憾なく備えていた。
 すくなくとも時雄の孤独なる生活はこれによって破られた。昔の恋人――今の細君。かつては恋人には相違なかったが、今は時勢が移り変った。四五年来の女子教育の勃興ぼっこう、女子大学の設立、庇髪ひさしがみ海老茶袴えびちゃばかま、男と並んで歩くのをはにかむようなものは一人も無くなった。この世の中に、旧式の丸髷まるまげ泥鴨あひるのような歩き振、温順と貞節とよりほかに何物をも有せぬ細君に甘んじていることは時雄には何よりも情けなかった。みちを行けば、美しい今様いまようの細君を連れてのむつまじい散歩、友を訪えば夫の席に出て流暢りゅうちょうに会話をにぎやかす若い細君、ましてその身が骨を折って書いた小説を読もうでもなく、夫の苦悶くもん煩悶には全く風馬牛で、子供さえ満足に育てれば好いという自分の細君に対すると、どうしても孤独を叫ばざるを得なかった。「寂しき人々」のヨハンネスと共に、家妻というものの無意味を感ぜずにはいられなかった。これが――この孤独が芳子にって破られた。ハイカラな新式な美しい女門下生が、先生! 先生! と世にもえらい人のように渇仰して来るのに胸を動かさずに誰がおられようか。
 最初の一月ほどは時雄の家に仮寓かぐうしていた。はなやかな声、あでやかな姿、今までの孤独な淋しいかれの生活に、何等の対照! 産褥から出たばかりの細君を助けて、靴下を編む、襟巻えりまきを編む、着物を縫う、子供を遊ばせるという生々した態度、時雄は新婚当座に再び帰ったような気がして、家門近く来るとそそるように胸が動いた。門をあけると、玄関にはその美しい笑顔、色彩に富んだ姿、夜も今までは子供と共に細君がいぎたなく眠って了って、六畳の室にいたずらに明らかな洋燈ランプも、かえってわびしさを増すの種であったが、今は如何いか夜更よふけて帰って来ても、洋燈の下には白い手が巧に編物の針を動かして、ひざの上に色ある毛糸の丸い玉! 賑かな笑声が牛込の奥の小柴垣こしばがきの中に充ちた。
 けれど一月ならずして時雄はこの愛すべき女弟子をその家に置く事の不可能なのを覚った。従順なる家妻は敢てその事に不服をも唱えず、それらしい様子も見せなかったが、しかもその気色きしょくは次第に悪くなった。限りなき笑声の中に限りなき不安の情が充ち渡った。妻の里方の親戚しんせき間などには現に一問題として講究されつつあることを知った。
 時雄は種々いろいろに煩悶した後、細君の姉の家――軍人の未亡人で恩給と裁縫とで暮している姉の家に寄寓させて、其処そこから麹町こうじまちの某女塾じょじゅくに通学させることにした。


 それから今回の事件まで一年半の年月が経過した。
 その間二度芳子は故郷をせいした。短篇小説を五種、長篇小説を一種、その他美文、新体詩を数十篇作った。某女塾では英語は優等の出来で、時雄の選択で、ツルゲネーフの全集を丸善から買った。初めは、暑中休暇に帰省、二度目は、神経衰弱で、時々しゃくのような痙攣けいれんを起すので、しばし故山の静かな処に帰って休養する方が好いという医師の勧めに従ったのである。
 その寓していた家は麹町の土手三番町、甲武こうぶの電車の通る土手際どてぎわで、芳子の書斎はその家での客座敷、八畳の一間、前に往来の頻繁ひんぱんな道路があって、がやがやと往来の人やら子供やらでやかましい。時雄の書斎にある西洋本箱を小さくしたような本箱が一閑張いっかんばりの机の傍にあって、その上には鏡と、紅皿べにざらと、白粉おしろいびんと、今一つシュウソカリの入った大きな罎がある。これは神経過敏で、頭脳あたまが痛くって為方しかたが無い時に飲むのだという。本箱には紅葉こうよう全集、近松世話浄瑠璃せわじょうるり、英語の教科書、ことに新しく買ったツルゲネーフ全集が際立って目に附く。で、未来の閨秀けいしゅう作家は学校から帰って来ると、机に向って文を書くというよりは、むしろ多く手紙を書くので、男の友達も随分多い。男文字の手紙も随分来る。中にも高等師範の学生に一人、早稲田わせだ大学の学生に一人、それが時々遊びに来たことがあったそうだ。
 麹町土手三番町の一角には、女学生もそうハイカラなのが沢山居ない。それに、市ヶ谷見附の彼方あちらには時雄の妻君の里の家があるのだが、この附近は殊に昔風の商家の娘が多い。で、すくなくとも芳子の神戸仕込のハイカラはあたりの人の目をそばだたしめた。時雄は姉の言葉として、妻から常に次のようなことを聞される。
「芳子さんにも困ったものですねと姉が今日も言っていましたよ、男の友達が来るのは好いけれど、夜など一緒に二七(不動)に出かけて、遅くまで帰って来ないことがあるんですって。そりゃ芳子さんはそんなことは無いのに決っているけれど、世間の口がやかましくって為方しかたが無いと云っていました」
 これを聞くと時雄はきまって芳子の肩を持つので、「お前達のような旧式の人間には芳子のることなどはわかりやせんよ。男女が二人で歩いたり話したりさえすれば、すぐあやしいとか変だとか思うのだが、一体、そんなことを思ったり、言ったりするのが旧式だ、今では女も自覚しているから、為ようと思うことは勝手にするさ」
 この議論を時雄はまた得意になって芳子にも説法した。「女子ももう自覚せんければいかん。昔の女のように依頼心を持っていては駄目だ。ズウデルマンのマグダの言った通り、父の手からすぐに夫の手に移るような意気地なしでは為方が無い。日本の新しい婦人としては、自ら考えて自ら行うようにしなければいかん」こう言っては、イブセンのノラの話や、ツルゲネーフのエレネの話や、露西亜ロシア独逸ドイツあたりの婦人の意志と感情と共に富んでいることを話し、さて、「けれど自覚と云うのは、自省ということをも含んでおるですからな、無闇むやみに意志や自我を振廻しては困るですよ。自分の遣ったことには自分が全責任を帯びる覚悟がなくては」
 芳子にはこの時雄の教訓が何より意味があるように聞えて、渇仰の念が愈〻いよいよ加わった。基督キリスト教の教訓より自由でそして権威があるように考えられた。
 芳子は女学生としては身装みなりが派手過ぎた。黄金きんの指環をはめて、流行をった美しい帯をしめて、すっきりとした立姿は、路傍の人目をくに十分であった。美しい顔と云うよりは表情のある顔、非常に美しい時もあれば何だか醜い時もあった。眼に光りがあってそれが非常によく働いた。四五年前までの女は感情をあらわすのにきわめて単純で、怒ったかたちとか笑った容とか、三種、四種位しかその感情を表わすことが出来なかったが、今では情を巧に顔に表わす女が多くなった。芳子もその一人であると時雄は常に思った。
 芳子と時雄との関係は単に師弟の間柄としては余りに親密であった。この二人の様子を観察したある第三者の女の一人が妻に向って、「芳子さんが来てから時雄さんの様子はまるで変りましたよ。二人で話しているところを見ると、魂は二人ともあくがれ渡っているようで、それは本当に油断がなりませんよ」と言った。はたから見れば、無論そう見えたに相違なかった。けれど二人は果してそう親密であったか、どうか。
 若い女のうかれ勝な心、うかれるかと思えばすぐ沈む。些細ささいなことにも胸を動かし、つまらぬことにも心を痛める。恋でもない、恋でなくも無いというようなやさしい態度、時雄は絶えず思い惑った。道義の力、習俗の力、機会一度至ればこれを破るのはきぬを裂くよりも容易だ。ただ、容易にきたらぬはこれを破るに至る機会である。
 この機会がこの一年の間にすくなくとも二度近寄ったと時雄は自分だけで思った。一度は芳子が厚い封書を寄せて、自分の不束ふつつかなこと、先生の高恩に報ゆることが出来ぬから自分は故郷に帰って農夫の妻になって田舎いなかに埋れてしまおうということを涙交りに書いた時、一度は或る夜芳子が一人で留守番をしているところへゆくりなく時雄が行って訪問した時、この二度だ。初めの時は時雄はその手紙の意味を明かに了解した。その返事をいかに書くべきかに就いて一夜眠らずに懊悩おうのうした。穏かに眠れる妻の顔、それを幾度かうかがって自己の良心のいかに麻痺まひせるかを自ら責めた。そしてあくる朝贈った手紙は、厳乎げんこたる師としての態度であった。二度目はそれから二月ほどった春の夜、ゆくりなく時雄が訪問すると、芳子は白粉おしろいをつけて、美しい顔をして、火鉢ひばちの前にぽつねんとしていた。
「どうしたの」とくと、
「お留守番ですの」
「姉は何処どこへ行った?」
「四谷へ買物に」
 と言って、じっと時雄の顔を見る。いかにもなまめかしい。時雄はこの力ある一瞥いちべつに意気地なく胸をおどらした。二語三語ふたことみこと、普通のことを語り合ったが、その平凡なる物語が更に平凡でないことを互に思い知ったらしかった。この時、今十五分も一緒に話し合ったならば、どうなったであろうか。女の表情の眼は輝き、言葉はなまめき、態度がいかにも尋常よのつねでなかった。
「今夜は大変綺麗きれいにしてますね?」
 男はわざと軽く出た。
「え、先程、湯に入りましたのよ」
「大変に白粉が白いから」
「あらまア先生!」と言って、笑って体をはす嬌態きょうたいを呈した。
 時雄はすぐ帰った。まア好いでしょうと芳子はたって留めたが、どうしても帰ると言うので、名残なごり惜しげに月の夜を其処そこまで送って来た。その白い顔には確かにある深い神秘がめられてあった。
 四月に入ってから、芳子は多病で蒼白あおじろい顔をして神経過敏に陥っていた。シュウソカリを余程多量に服してもどうも眠られぬとて困っていた。絶えざる欲望と生殖の力とは年頃の女を誘うのに躊躇ちゅうちょしない。芳子は多く薬に親しんでいた。
 四月末に帰国、九月に上京、そして今回こんどの事件が起った。
 今回の事件とはほかでも無い。芳子は恋人を得た。そして上京の途次、恋人と相携えて京都嵯峨さがに遊んだ。その遊んだ二日の日数が出発と着京との時日に符合せぬので、東京と備中との間に手紙の往復があって、詰問した結果は恋愛、神聖なる恋愛、二人は決して罪を犯してはおらぬが、将来は如何いかにしてもこの恋を遂げたいとの切なる願望ねがい。時雄は芳子の師として、この恋の証人として一面月下氷人げっかひょうじんの役目を余儀なくさせられたのであった。
 芳子の恋人は同志社の学生、神戸教会の秀才、田中秀夫、年二十一。

 芳子は師の前にその恋の神聖なるを神懸けて誓った。故郷の親達は、学生の身で、ひそかに男と嵯峨に遊んだのは、既にその精神の堕落であると云ったが、決してそんなけがれた行為はない。互に恋を自覚したのは、むしろ京都で別れてからで、東京に帰って来てみると、男から熱烈なる手紙が来ていた。それで始めて将来の約束をしたような次第で、決して罪を犯したようなことは無いと女は涙を流して言った。時雄は胸に至大の犠牲を感じながらも、その二人の所謂いわゆる神聖なる恋の為めに力を尽すべく余儀なくされた。
 時雄はもだえざるを得なかった。わが愛するものを奪われたということははなはだしくその心を暗くした。元より進んでその女弟子を自分の恋人にする考は無い。そういう明らかな定った考があれば前に既に二度までも近寄って来た機会をつかむにおいあえ躊躇ちゅうちょするところは無いはずだ。けれどその愛する女弟子、さびしい生活に美しい色彩を添え、限りなき力を添えてくれた芳子を、突然人の奪い去るに任すに忍びようか。機会を二度まで攫むことは躊躇したが、三度来る機会、四度来る機会を待って、あらたなる運命と新なる生活を作りたいとはかれの心の底の底のかすかなる願であった。時雄は悶えた、思い乱れた。ねたみと惜しみと悔恨くやみとの念が一緒になって旋風のように頭脳あたまの中を回転した。師としての道義の念もこれに交って、益〻ますます炎をさかんにした。わが愛する女の幸福の為めという犠牲の念も加わった。で、夕暮のぜんの上の酒はおびただしく量を加えて、泥鴨あひるごとく酔って寝た。
 あくる日は日曜日の雨、裏の森にざんざん降って、時雄の為めには一倍にわびしい。けやきの古樹に降りかかる雨のあし、それが実に長く、限りない空から限りなく降っているとしか思われない。時雄は読書する勇気も無い、筆を執る勇気もない。もう秋で冷々ひえびえと背中の冷たい籐椅子とういすに身をよこたえつつ、雨の長い脚を見ながら、今回の事件からその身の半生のことを考えた。かれの経験にはこういう経験が幾度もあった。一歩の相違で運命の唯中に入ることが出来ずに、いつも圏外に立たせられた淋しい苦悶くもん、その苦しい味をかれは常にあじわった。文学の側でもそうだ、社会の側でもそうだ。恋、恋、恋、今になってもこんな消極的な運命に漂わされているかと思うと、その身の意気地なしと運命のつたないことがひしひしと胸に迫った。ツルゲネーフのいわゆる Superfluous man ! だと思って、その主人公のはかない一生を胸に繰返した。
 寂寥さびしさに堪えず、ひるから酒を飲むと言出した。細君の支度の為ようが遅いのでぶつぶつ言っていたが、膳にせられたさかながまずいので、遂に癇癪かんしゃくを起して、自棄やけに酒を飲んだ。一本、二本と徳利の数はかさなって、時雄は時のに泥の如く酔った。細君に対する不平ももう言わなくなった。徳利に酒が無くなると、只、酒、酒と言うばかりだ。そしてこれをぐいぐいとあおる。気の弱い下女はどうしたことかとあきれて見ておった。男の児の五歳になるのを始めはしきりに可愛がって抱いたりでたり接吻せっぷんしたりしていたが、どうしたはずみでか泣出したのに腹を立てて、ピシャピシャとその尻を乱打したので、三人の子供はこわがって、遠巻にして、平生ふだんに似もやらぬ父親の赤く酔った顔を不思議そうに見ていた。一升近く飲んでそのまま其処に酔倒れて、お膳の筋斗とんぼがえりを打つのにも頓着とんちゃくしなかったが、やがて不思議なだらだらした節で、十年も前にはやった幼稚な新体詩を歌い出した。
君が門辺かどべをさまよふは
ちまたちりを吹き立つる
あらしのみとやおぼすらん。
その嵐よりいやあれに
その塵よりも乱れたる
恋のかばねを暁の
 歌を半ばにして、細君のけた蒲団ふとんを着たまま、すっくと立上って、座敷の方へ小山の如く動いて行った。何処へ? 何処へいらっしゃるんです? と細君は気が気でなくその後を追って行ったが、それにもかまわず、蒲団を着たまま、かわやの中に入ろうとした。細君はあわてて、
貴郎あなた、貴郎、酔っぱらってはいやですよ。そこは手水場ちょうずばですよ」
 突如いきなり蒲団を後から引いたので、蒲団は厠の入口で細君の手に残った。時雄はふらふらと危く小便をしていたが、それがすむと、突如いきなりどうと厠の中に横に寝てしまった。細君がきたながってしきりにゆすったり何かしたが、時雄は動こうとも立とうとも為ない。そうかと云って眠ったのではなく、赤土のような顔に大きい鋭い目をいて、戸外おもてに降りしきる雨をじっと見ていた。