一

 四里の道は長かった。その間に青縞あおじまいちのたつ羽生はにゅうの町があった。田圃たんぼにはげんげが咲き、豪家ごうかの垣からは八重桜が散りこぼれた。赤い蹴出けだしを出した田舎いなかねえさんがおりおり通った。
 羽生からは車に乗った。母親が徹夜てつやして縫ってくれた木綿もめん三紋みつもんの羽織に新調のメリンスの兵児帯へこおび、車夫は色のあせた毛布けっとうはかまの上にかけて、梶棒かじぼうを上げた。なんとなく胸がおどった。
 清三せいぞうの前には、新しい生活がひろげられていた。どんな生活でも新しい生活には意味があり希望があるように思われる。五年間の中学校生活、行田ぎょうだから熊谷くまがやまで三里のみちを朝早く小倉こくら服着て通ったことももう過去になった。卒業式、卒業の祝宴、初めて席にはべ芸妓げいしゃなるものの嬌態きょうたいにも接すれば、平生へいぜいむずかしい顔をしている教員が銅鑼声どらごえり上げて調子はずれのうたをうたったのをも聞いた。一月ひとつき二月ふたつきとたつうちに、学校の窓からのぞいた人生と実際の人生とはどことなく違っているような気がだんだんしてきた。第一に、父母ふぼからしてすでにそうである。それにまわりの人々の自分に対する言葉のうちにもそれが見える。つねに往来おうらいしている友人の群れの空気もそれぞれに変わった。
 ふと思い出した。
 十日ほど前、親友の加藤郁治かとういくじと熊谷から歩いて帰ってくる途中で、文学のことやら将来のことやら恋のことやらを話した。二人は一少女に対するある友人の関係についてまず語った。
「そうしてみると、先生なかなかご執心しゅうしんなんだねえ」
「ご執心以上さ!」と郁治は笑った。
「この間まではそんな様子が少しもなかったから、なんでもないと思っていたのさ、現にこの間も、『おおいに悟った』ッて言うから、ラヴのために一身上の希望を捨ててはつまらないと思って、それであきらめたのかと思ったら、正反対せいはんたいだッたんだね」
「そうさ」
「不思議だねえ」
「この間、手紙をよこして、『余も卿等けいらの余のラヴのために力を貸せしを謝す。余は初めて恋の物うきを知れり。しかして今はこのラヴの進み進まんを願へり、Physical なしに……』なんて言ってきたよ」
 この Physical なしにという言葉は、清三に一種の刺戟しげきを与えた。郁治もだまって歩いた。
 郁治は突然、
「僕には君、大秘密だいひみつがあるんだがね」
 その調子が軽かったので、
「僕にもあるさ!」
 と清三が笑って合わせた。
 調子抜けがして、二人はまた黙って歩いた。
 しばらくして、
「君はあの『尾花おばな』を知ってるね」
 郁治はこうたずねた。
「知ってるさ」
「君は先生にラヴができるかね」
「いや」と清三は笑って、「ラヴはできるかどうかしらんが、単に外形美がいけいびとして見てることは見てるさ」
「Aのほうは?」
「そんな考えはない」
 郁治は躊躇ちゅうちょしながら、「じゃ Art は?」
 清三の胸は少しくおどった。「そうさね、機会が来ればどうなるかわからんけれど……今のところでは、まだそんなことを考えていないね」こう言いかけて急にはしゃいだ調子で、
「もし君が Art に行けば、……そうさな、僕はちょうど小畑おばたと Miss N とに対する関係のような考えで、君と Art に対するようになると思うね」
「じゃ僕はその方面に進むぞ」
 郁治は一歩を進めた。
 清三は今、車の上でその時のことを思い出した。心臓しんぞう鼓動こどう尋常じんじょうでなかったことをも思い出した。そしてその夜日記帳に、「かれ、さちおおかれ、願はくば幸多かれ、オヽ神よ、神よ、かの友の清きラヴ、美しき無邪気なるラヴに願はくば幸多からしめよ、涙多きなんじの手をもって願はくば幸多からしめよ、神よ、願ふ、親しき、友のために願ふ」と書いて、机の上にしたことを思い出した。
 それから十日ほどたって、二人はその女の家を出て、士族屋敷しぞくやしきのさびしい暗い夜道よみちを通った。その日は女はいなかった。女は浦和に師範しはん学校の入学試験を受けに行っていた。
「どんなことでも人の力をつくせば、できないことはないとは思うけれど……僕は先天的にそういう資格がないんだからねえ」
「そんなことはないさ」
「でもねえ……」
「弱いことを言うもんじゃないよ」
「君のようだといいけれど……」
「僕がどうしたッていうんだ?」
「僕は君などと違ってラヴなどのできるがらじゃないからな」
 清三は郁治をいろいろになぐさめた。清三は友をあわれみまたおのれを憫んだ。
 いろいろな顔と事件とが眼にうつっては消えうつっては消えた。路にははんのまばらな並木やら、庚申塚こうしんづかやら、はたやら、百姓家やらが車の進むままに送り迎えた。馬車が一台、あとから来て、砂煙すなけむりを立ててして行った。
 郁治の父親は郡視学であった。郁治の妹が二人、雪子は十七、しげ子は十五であった。清三が毎日のように遊びに行くと、雪子はつねににこにことして迎えた。繁子はまだほんの子供ではあるが、「少年世界」などをよく読んでいた。
 家が貧しく、とうてい東京に遊学などのできぬことが清三にもだんだん意識されてきたので、遊んでいてもしかたがないから、当分小学校にでも出たほうがいいという話になった。今度月給十一円でいよいよ羽生はにゅう在の弥勒みろくの小学校に出ることになったのは、まったく郁治の父親の尽力じんりょくの結果である。
 路のかたわらに小さな門があったと思うと、井泉村役場いずみむらやくばというふだが眼にとまった、清三は車をおりて門にはいった。
「頼む」
 と声をたてると、奥から小使らしい五十男が出て来た。
「助役さんは出ていらっしゃいますか」
「岸野さんかな」
 と小使は眼をしょぼしょぼさせて反問はんもんした。
「ああ、そうです」
 小使は名刺と視学からの手紙とを受け取って引っ込んだが、やがて清三は応接室にみちびかれた。応接室といっても、テーブル椅子いすがあるわけではなく、がらんとした普通の六畳で、粗末そまつな瀬戸火鉢がまんなかに置かれてあった。
 助役はふとったひくい男で、しまの羽織を着ていた。視学からの手紙を見て、「そうですか。貴郎あなたが林さんですか。加藤かとうさんからこの間その話がありました。紹介状しょうかいじょうを一つ書いてあげましょう」こう言って、きたないすずり箱をとり寄せて、何かしきりに考えながら、長く黙って、一通の手紙を書いて、上に三田みたむら村長石野栄造様という宛名あてなを書いた。
「それじゃこれを弥勒みろくの役場に持っていらっしゃい」

       二

 弥勒まではそこからまだ十町ほどある。
 三田ヶ谷村といっても、一ところに人家がかたまっているわけではなかった。そこに一軒、かしこに一軒、杉の森の陰に三四軒、野のはたの向こうに一軒というふうで、町から来てみると、なんだかこれでも村という共同の生活をしているのかと疑われた。けれど少し行くと、人家が両側に並び出して、汚ない理髪店、だるまでもいそうな料理店、子供の集まった駄菓子屋などが眼にとまった。ふと見ると平家ひらや造りの小学校がその右にあって、門に三田ヶ谷村弥勒高等尋常じんじょう小学校と書いた古びた札がかかっている。授業中で、学童の誦読しょうどくの声にまじって、おりおり教師の甲走かんばしった高い声が聞こえる。ほこりよごれた硝子がらす窓には日が当たって、ところどころ生徒の並んでいるさまや、黒板やテーブルや洋服姿などがかすかにすかして見える。はいりの時に生徒でいっぱいになる下駄箱のあたりも今はしんとして、広場には白斑しろぶちの犬がのそのそと餌をあさっていた。
 オルガンの音がかすかに講堂とおぼしきあたりから聞こえて来る。
 学校の門前もんぜんを車は通り抜けた。そこに傘屋かさやがあった。家中うちじゅうを油紙やしぶ皿や糸や道具などで散らかして、そのまんなかに五十ぐらいの中爺ちゅうおやじがせっせと傘を張っていた。家のまわりには油をいた傘のまだかわかないのが幾本となくしつらねてある。清三は車をとどめて、役場のあるところをこの中爺にたずねた。
 役場はその街道に沿った一かたまりの人家のうちにはなかった。人家がつきると、昔の城址しろあとでもあったかと思われるような土手とほりとがあって、土手にはささや草が一面に繁り、濠には汚ないびた水がかししい大木たいぼくの影をおびて、さらに暗い寒い色をしていた。その濠に沿ってがって一町ほど行った所が役場だと清三は教えられた。かれはここで車代を二十銭払って、車を捨てた。笹藪ささやぶのかたわらに、茅葺かやぶきの家が一軒、古びた大和障子やまとしょうじにお料理そばきりうどん小川屋と書いてあるのがふと眼にとまった。家のまわりははたで、麦の青い上には雲雀ひばりがいい声で低くさえずっていた。
 弥勒みろくには小川屋という料理屋があって、学校の教員が宴会をしたり飲み食いに行ったりするということをかねて聞いていた。当分はその料理屋でまかないもしてくれるし、夜具も貸してくれるとも聞いた。そこにはおたねというきれいな評判な娘もいるという。清三はあたりに人がいなかったのをさいわい、通りがかりの足をとどめて、低い垣から庭をのぞいてみた。庭には松が二三本、桜の葉になったのが一二本、障子の黒いのがことにきわだって眼についた。
 垣のすみには椿つぱき珊瑚樹さんごじゅとの厚い緑の葉が日を受けていた。椿には花がまだ二つ三つ葉がくれに残って見える。
 このへんの名物だという赤城あかぎおろしも、四月にはいるとまったくやんで、今は野も緑と黄と赤とで美しくいろどられた。麦の畑をつらぬいた細い道は、向こうに見えるひょろ長いはんの並木に通じて、その間から役場らしい藁葺屋根わらぶきやね水彩すいさい画のように見渡される。
 応接室は井泉村役場の応接室よりもきれいであった。そこからは吏員りいんの事務をとっているへやが硝子窓をとおしてはっきりと見えた。テーブルの上には戸籍台帳こせきだいちょうやら、収税帳しゅうぜいちょうやら、願届ねがいとどけを一まとめにした書類やらが秩序ちつじょよく置かれて、頭を分けたやせぎすの二十四五の男と五十ぐらいの頭のはげたじじいとが何かせっせと書いていた。助役らしいひげえた中年者と土地の勢力家らしい肥った百姓とがしきりに何か笑いながら話していたが、おりおり煙管きせるをトントンとたたく。
 村長は四十五ぐらいで、痘痕面あばたづらで、頭はなかば白かった。ここあたりによく見るタイプで、言葉には時々武州訛ぶしゅうなまりまじる。井泉村の助役の手紙を読んで、巻き返して、「私は視学からも助役からもそういう話は聞かなかったが……」と頭をかたむけた時は、清三は不思議な思いにうたれた。なんだかきつねにつままれたような気がした。視学も岸野もあまり無責在に過ぎるとも思った。
 村長はしばらく考えていたが、やがて、「それじゃもう内々転任の話もきまったのかもしれない。今いる平田という教員が評判が悪いので、変えるっていう話はちょっと聞いたことがあるから」と言って、
「一つ学校に行って、校長に会って聞いてみるほうがいい!」
 横柄おうへいな口のききかたがまずわかいかれの矜持プライドを傷つけた。
 何もできもしない百姓の分際ぶんざいで、金があるからといって、生意気な奴だと思った。初めての教員、初めての世間への首途かどで、それがこうした冷淡れいたんな幕で開かれようとはかれは思いもかけなかった。
 一時間後、かれは学校に行って、校長に会った。授業中なので、三十分ほど教員室で待った。教員室には掛図かけずや大きな算盤そろばんや書籍や植物標本しょくぶつひょうほんやいろいろなものが散らばって乱れていた。女教員じょきょういんが一人隅のほうで何かせっせと調べ物をしていたが、はじめちょっと挨拶あいさつしたぎりで、言葉もかけてくれなかった。やがてベルが鳴る、長い廊下を生徒はぞろぞろと整列してきて、「別れ」をやるとそのまま、蜘蛛くもの子を散らしたように広場に散った。今までの静謐せいひつとは打って変わって、足音、号令ごうれいの音、散らばった生徒のさわぐ音が校内に満ち渡った。
 校長の背広せびろには白いチョークがついていた。顔の長い、背の高い、どっちかといえばやせたほうの体格で、師範しはん校出の特色の一種の「気取きどり」がその態度にありありと見えた。知らぬふりをしたのか、それともほんとうに知らぬのか、清三にはその時の校長の心がわからなかった。
 校長はこんなことを言った。
「ちっとも知りません……しかし加藤さんがそう言って、岸野さんもご存じなら、いずれなんとか命令があるでしょう。少し待っていていただきたいものですが……」
 時宜じぎによればすぐにも使者ししゃをやって、よく聞きただしてみてもいいから、今夜一ばんは不自由でもあろうが役場に宿とまってくれとのことであった。教員室には、教員が出たりはいったりしていた。五十ぐらいの平田という老朽ろうきゅうと若い背広のせきというじゅん教員とが廊下の柱の所に立って、久しく何事をか語っていた。二人は時々こっちを見た。
 ベルがまた鳴った。校長も教員もみな出て行った。生徒はぞろぞろとうしおのように集まってはいって来た。女教員は教員室を出ようとして、じろりと清三を見て行った。
 唱歌の時間であるとみえて、講堂に生徒が集まって、やがてゆるやかなオルガンの音が静かな校内に聞こえ出した。

       三

 村役場の一夜ひとよはさびしかった。小使のへやにかれは寝ることになった。日のくれぐれに、勝手口から井戸のそばに出て、平野をめぐる遠い山々のくらくなるのを眺めていると、身も引き入れられるような哀愁かなしみがそれとなく心をおそって来る。父母ちちははのことがひしひしと思い出された。幼いころは兄弟も多かった。そのころ父は足利あしかがで呉服屋をしていた。財産もかなり豊かであった。七歳の時没落して熊谷くまがやに来た時のことをかれはおぼろげながら覚えている。母親の泣いたのを不思議に思ったのをも覚えている。今は――兄も弟も死んでしまって自分一人になった今は、家庭の関係についても、他の学友のような自由なことはいっていられない。人のいい父親と弱々しく情愛の深い母親とを持ったこの身は、生まれながらにしてすでに薄倖はっこうの運命を得てきたのである。こう思うと、例のセンチメンタルな感情がはげしく胸にせまってきて、涙がおのずと押すように出る。
 近い森や道や畠は名残りなく暮れても、遠い山々のいただきはまだ明るかった。浅間の煙が刷毛はけではいたように夕焼けの空になびいて、その末がぼかしたように広くひろがり渡った。かわずの声がそこにもここにも聞こえ出した。
 ところどころの農家にともしびがとぼって、うたをうたって行く声がどこか遠くで聞こえる。
 かれはじっと立ちつくしていた。
 ふと前のはんの並木のあたりに、人の来る気勢けはいがしたと思うと、はなやかに笑う声がして、足音がばたばたと聞こえる。小川屋に弁当と夜具を取りに行った小使が帰って来たのだと思っていると、夕闇の中から大きな夜具をかずいた黒い影が浮き出すように動いて来て、そのあとに女らしい影がちょこちょこついて来た。
 小使は室のうちにドサリと夜具を置いて、さも重かったというように呼吸いきをついたが、昼間掃除しておいた三分心ぶじん洋燈らんぷに火をとぼした。あたりは急に明るくなった。
「ご苦労でした」
 こう言って、清三が戸内こないにはいって来た。
 このとき、清三はそこに立っている娘の色白の顔を見た。娘はたずさえて来た弁当をそこに置いて、急に明るくなった一室をまぶしそうに見渡した。
「お種坊たねぼう、遊んでいくがいや」
 小使はこんなことを言った。娘はにこにこと笑ってみせた。評判な美しさというほどでもないが、まゆのところに人に好かれるようにえんなところがあって、豊かな肉づきがほおにも腕にもあらわに見えた。
「おっかあ加減あんべいが悪いって聞いたが、どうだい。もういいかな」
「ああ」
風邪かぜだんべい」
「寒いおもいをしてはいけないいけないッて言っても、仮寝うたたねなぞしているもんだから……風邪かぜを引いちゃったんさ……」
「おっかあ、いい気だからなア」
「ほんとうに困るよ」
「でも、お種坊はかせぎものだから、おっかあ、楽ができらアな」
 娘は黙って笑った。
 しばらくして、
「お客様の弁当は、明日あしたも持って来るんだんべいか」
「そうよ」
「それじゃ、お休み」
 と娘は帰りかけると、
「まア、いいじゃねえか、遊んでいけやな」
「遊んでなんかいられねえ、これから跡仕舞あとじまいしねきゃなんねえ……それだらお休み」と出て行ってしまう。
 弁当には玉子焼きとものとが入れられてあった。小使は出流でながれのぬるい茶をついでくれた。やがてじじいはわきに行って、内職のわらを打ち始めた。夜はしんとしている。蛙の声に家も身もめらるるように感じた。かれは想像にもつかれ、さりとて読むべき雑誌も持って来なかったので、包みの中から洋紙を横綴よことじにした手帳を出して、鉛筆で日記をつけ出した。
 四月二十五日と前の日に続けて書いて、ふと思いついて鉛筆をさかさにして、ゴムでゴシゴシ消した。今日は少なくとも一生のうちで新しい生活にはいる記念の第一日である。小説ならば、パアトが改まるところである。で、かれはページの裏を半分白いままにしておいて、次の頁からあらたに書き始めた。
 四月二十五日、(弥勒みろくにて)……
 一ページほど簡単に書き終わって、ついでに今日の費用かかりを数えてみた。新郷しんごうで買った天狗てんぐ煙草が十銭、途中の車代が三十銭、清心丹が五銭、学校で取った弁当が四銭五厘、合計四十九銭五厘、持って来た一円二十銭のうちから差引き七十銭五厘がまだ蝦蟇口がまぐちの中に残っていた。続いて今度ここに来るについての費用を計算してみた。
  25.0…………………………認印
22.0…………………………名刺
3.5…………………………歯磨および楊子
8.5…………………………筆二本
14.0…………………………硯
1,15.0…………………………帽子
1,75.0…………………………羽織
30.0…………………………へこ帯
14.5…………………………下駄
―――
4,07.5
 これに前の七十銭五厘を加えて総計四円七十八銭也と書いて、そしてこの金をつくるについて、父母ちちははの苦心したことを思い出した。わずか一円の金すら容易にできない家庭のあわれむべきをつくづく味気あじきなく思った。
 夜着よぎえりよごれていた。旅のゆるやかな悲哀ひあいがスウイトな涙をさそった。かれはいつかかすかにいびきをたてていた。
 翌日は学校の予算表の筆記を頼まれて、役場で一日を暮らした。それがすんでから、父母に手紙を書いて出した。
 夕暮れに校長の家から使いがある。
 校長の家は遠くはなかった。麦の青いはたのところどころに黄いろい菜の花の一畦いっけいが交った。茅葺かやぶき屋根の一軒ちではあるが、つくりはすべて百姓家のかまえで、広い入り口、六畳と八畳と続いたへやの前に小さな庭があるばかりで、細君のだらしのない姿も、子供の泣き顔も、茶の間の長火鉢も畳のよごれて破れたのも、表から来る人の眼にみなうつった。校長のへやには学校管理法や心理学や教育時論の赤い表紙などが見えた。
「君にはほんとうに気の毒でした。実はまだ手筈てはずだけで、表向おもてむきにしなかったものだからねえ……」
 と言って、細君のはこんで来た茶を一杯ついで出して、「君もご存じかもしれないが、平田というあの年のった教員、あれがもう老朽でしかたがないから、転校か免職かさせようと言っていたところに、ちょうど加藤さんからそういう話があるッて岸野君が言うもんだから、それでおたのみしようッていうことにしたのでした。ところが少し貴君あなたのおいでが早かったものだから……」
 言いかけて笑った。
「そうでしたか、少しも知りませんものでしたから……」
「それはそうですとも、貴君あなたは知るわけはない。岸野さんがいま少し注意してくれるといいんですけれど、あの人はああいうふうで、何事にも無頓着むとんじゃくですからな」
「それじゃその教員がいたんですね?」
「ええ」
「それじゃまだ知らずにおりましたのですか」
「内々は知ってるでしょうけれど……表向きはまだ発表してないんです。二三日のうちにはすっかり村会でめてしまうつもりですから、来週からは出ていただけると思いますが……」こう言って、少しとぎれて、
「私のほうの学校はみんないい方ばかりで、万事ばんじすべてまるくいっていますから、始めて来た方にも勤めいいです。貴下あなたも一つ大いに奮発していただきたい。俸給もそのうちにはだんだんどうかなりますから……」
 煙草たばこを一服吸ってトンとたたいて、
「貴下はまだ正教員の免状は持っていないんですね?」
「ええ」
「じゃ一つ、取っておくほうが、万事都合つごうがいいですな。中学の証明があれば、実科を少しやればわけはありゃしないから……教授法はちっとは読みましたか」
「少しは読んでみましたけれど、どうもおもしろくなくって困るんです」
「どうも教授法も実地に当たってみなくってはおもしろくないものです。やってみると、これでなかなか味が出てくるもんですがな」
 学校教授法の実験に興味きょうみを持つ人間と、詩や歌にあくがれている青年とがこうして長く相対あいたいしてすわった。点心ちゃうけには大きい塩煎餅しおせんべいが五六枚盆にのせて出された。校長の細君は挨拶あいさつをしながら、顔の蒼白あおじろい、鼻の高い、眉と眉との間の遠い客の姿を見て、弱々しい人だと思った。次のでは話をしている間、今年生まれた子がしっきりなしに泣いたが、しかしあるじはそれをやかましいとも言わなかった。
 襁褓むつきがあたりに散らばって、火鉢の鉄瓶てつびんはカラカラ煮え立っていた。
 中学の話が出る。師範校の話が出る。教授上の経験談が出る。同僚になる人々のうわさが出る。清三は思わず興に乗って、理想めいたことやら、家庭のための犠牲ということやらその他いろいろのことを打ち明けて語って、一生小学校の教員をする気はないというようなことまでほのめかした。清三は昨日学校で会った時に似ず、この校長の存外性質のよさそうなところのあるのを発見した。
 校長の語るところによると、この三田ヶ谷という地は村長や子弟の父兄の権力の強いところで、そのかじを取って行くのがなかなかむずかしいそうである。それに人気もあまりよいほうではない、発戸ほっと上村君かみむらぎみ下村君したむらぎみなどいう利根とね川寄りの村落では、青縞あおじま賃機ちんばたが盛んで、若い男や女が出はいりするので、風俗もどうも悪い。七八歳の子供が卑猥ひわいきわまるうたなどを覚えて来てそれを平気で学校でうたっている。
「私がここに来てから、もう三年になりますが、その時分じぶんは生徒の風儀はそれはずいぶんひどかったものですよ。初めは私もこんなところにはとてもつとまらないと思ったくらいでしたよ。今では、それでもだいぶよくなったがな」と校長は語った。
 帰る時に、
明日あしたは土曜日ですから、日曜にかけて一度行田ぎょうだに帰って来たいと思いますが、おさしつかえはないでしょうか?」
 かれはこうたずねた。
「ようござんすとも……それでは来週から勤めていただくように……」
 その夜はやはり役場の小使べやに寝た。