祖父の十七年の法要があるから帰れ︱︱という母からの手紙で私は二タ月ぶりぐらいで小田原の家に帰このごろはどうなの 私は父のことを尋ねただんだん悪くなるばかり 母は押入を片付けながら言続けてそんな気分を振り棄てるようにちの家はほんとに狭くてこんな時にはまたく困てしまう第一どこに何がしまてあるんだか少しも分らないなどとつぶやいていた僕の事をおこていますかカンカン 母は面倒くさそうに言ふふんこれからもうお金なんて一文もやるんじないて︱︱私まで大変おこられたと私はセセラ笑とそうくるだろうとは思ていたものの明らかに言われてみるとドキとしたセセラ笑てみたところ私自身も母も私自身の無能とカラ元気とをかえみにくく感ずるばかりだもうお父さんの事はあてにならないよあの年になてのことだもの これは父の放蕩ほうとうを意味するのだ勝手にするがいいさ 私はおこたような口調でつぶやくといかにも腹には確然としたある自信があるような顔をしたこんなものの言い方やこんな態度は私がこのごろになて初めて発見した母に対する一種のコケトリイだだがが用うのはいつもこの手段のほかはなくそうしてその場限りで何の効もないので今ではもう母の方でもう聞ききたよという顔をするのだもう家もおしまいだ私は覚悟していると母は言 私は母が言うこの種の言葉はすべて母が感情に走て言うのだという風にばかりことさらに解釈しようと努めただけどまアどうにかなるでしうね 私は何の意味もなくただ自分を慰めるように易々いいと見せかけたこんな私の楽天的な態度にもすかり母は愛想を尽かしていた 母はと笑いを浮べたまま黙煙草盆たばこぼんを箱から出しては一つ一ついていた 私も話だけでも父の事に触れるのは厭にな明日は叔父さんたちも皆な来るでし皆な来ると言て寄こした また父の事が口に出そうにな躑躅つつじがよく咲いてると私は言お前でも花などに気がつくことがあるの
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