一

 月夜に七人の子供が歩いておりました。
 大きい子供も小さい子供もまじっておりました。
 月は、上から照らしておりました。子供たちの影は短かくべたにうつりました。
 子供たちはじぶんじぶんの影を見て、ずいぶん大頭で、足が短いなあと思いました。
 そこで、おかしくなって、笑い出す子もありました。あまりかっこうがよくないので二、三歩はしって見る子もありました。
 こんな月夜には、子供たちは何か夢みたいなことを考えがちでありました。
 子供たちは小さい村から、半里ばかりはなれた本郷ほんごうへ、夜のお祭を見にゆくところでした。
 切通しをのぼると、かそかな春の夜風にのって、ひゅうひゃらりゃりゃと笛のが聞えて来ました。
 子供たちの足はしぜんにはやくなりました。
 すると一人の子供がおくれてしまいました。
文六ぶんろくちゃん、早く来い」
とほかの子供が呼びました。
 文六ちゃんは月の光でも、やせっぽちで、色の白い、眼玉の大きいことのわかる子供です。できるだけいそいでみんなに追いつこうとしました。
「んでもおれ、おっちゃんの下駄げただもん」
と、とうとう鼻をならしました。なるほど細長いあしのさきには大きな、大人おとなの下駄がはかれていました。

       二

 本郷にはいるとまもなく、道ばたに下駄屋さんがあります。
 子供たちはその店にはいってゆきました。文六ちゃんの下駄を買うのです。文六ちゃんのお母さんに頼まれたのです。
「あののイ、小母おばさん」
と、義則よしのり君が口をとがらして下駄屋の小母さんにいいました。
「こいつのイ、樽屋たるやせいさの子供だけどのイ、下駄を一足やっとくれや。あとから、おっ母さんがぜにもってくるげなで」
 みんなは、樽屋の清さの子供がよく見えるように、まえへ押しだしました。それは文六ちゃんでした。文六ちゃんは二つばかりばたきしてつっ立っていました。
 小母さんは笑い出して、下駄をたなからおろしてくれました。
 どの下駄が足によくあうかは、足にあてて見なければわかりません。義則君が、お父さんか何ぞのように、文六ちゃんの足に下駄をあてがってくれました。何しろ文六ちゃんは、一人きりの子供で、甘えん坊でした。
 ちょうど文六ちゃんが、新しい下駄をはいたときに、腰のまがったおばあさんが下駄屋さんにはいって来ました。そしてお婆さんはふとこんなことをいうのでした。
「やれやれ、どこの子だか知らんが、晩げに新しい下駄をおろすときつねがつくというだに」
 子供たちはびっくりしてお婆さんの顔を見ました。
うそだい、そんなこと」
とやがて義則君がいいました。
「迷信だ」
とほかの一人がいいました。
 それでも子供たちの顔には何か心配な色がただよっていました。
「ようし、そいじゃ、小母さんがまじないしてやろう」
と、下駄屋の小母さんが口軽くいいました。
 小母さんは、マッチを一本するまねして、文六ちゃんの新しい下駄のうらに、ちょっとさわりました。
「さあ、これでよし。これでもう、狐もたぬきもつきゃしん」
 そこで子供たちは下駄屋さんを出ました。

            三

 子供たちは綿菓子わたがしべながら、稚児ちごさんが二つの扇を、眼にもとまらぬ速さでまわしながら、舞台の上で舞うのを見ていました。その稚児さんは、お白粉しろいをぬりこくって顔をいろどっているけれど、よく見ると、お多福湯たふくゆのトネ子でありましたので、
「あれ、トネ子だよ、ふふ」
とささやきあったりしました。
 稚児さんを見てるのに飽くと、くらいところにいって、鼠花火ねずみはなびをはじかせたり、かんしゃく玉を石垣いしがきにぶつけたりしました。
 舞台を照らすあかるい電燈には、虫がいっぱい来て、そのまわりをめぐっていました。見ると、舞台の正面のひさしのすぐ下に、大きな、あか土色のがぴったりはりついていました。
 山車だしの鼻先のせまいところで、人形の三番叟さんばそうが踊りはじめる頃は、すこし、お宮の境内けいだいの人もすくなくなったようでした。花火や、ゴム風船の音もへったようでした。
 子供たちは山車の鼻の下にならんで、仰向いて、人形の顔を見ていました。
 人形は大人おとなとも子供ともつかぬ顔をしています。その黒い眼は生きているとしか思えません。ときどき、またたきするのは、人形を踊らす人がうしろで糸をひくのです。子供たちはそんなことはよく知っています。しかし、人形がまたたきすると、子供たちは、何だか、ものがなしいような、ぶきみなような気がします。
 するととつぜん、パクッと人形が口をあきペロッと舌を出し、あっというまに、もとのように口をとじてしまいました。まっかな口の中でした。
 これも、うしろで糸をひく人がやったことです。子供たちはよく知っているのです。ひるまなら、子供たちは面白がって、ゲラゲラ笑うのです。
 けれど子供たちは、いまは笑いませんでした。提灯ちょうちんの光の中で、――影の多い光の中で、まるで生きている人間のように、まばたきしたり、ペロッと舌を出したりする人形……何というぶきみなものでしょう。
 ――子供たちは思い出しました、文六ちゃんの新しい下駄のことを。晩げに新しい下駄をおろすものは狐につかれるといったあの婆さんのことを。
 子供たちは、じぶんたちが、ながく遊びすぎたことにも気がつきました。じぶんたちにはこれから帰ってゆかねばならない、半里の、野中の道があったことにも気がつきました。

            四

 かえりも月夜でありました。
 しかし、かえりの月夜は、なんとなくつまらないものです。子供たちは、だまって――ちょうど一人一人が、じぶんのこころの中をのぞいてでもいるように、だまって歩いていました。
 切通し坂の上に来たとき、一人の子が、もう一人の子の耳に口を寄せて何かささやきました。するとささやかれた子は別の子のそばにいって何かささやきました。その子はまた別の子にささやきました。――こうして、文六ちゃんのほか、子供たちは何か一つのことを、耳から耳へいいつたえました。
 それはこういうことだったのです。「下駄屋さんの小母おばさんは文六ちゃんの下駄に、ほんとうにマッチをすっておまじないをしやしんだった。まねごとをしただけだった」
 それから子供たちはまたひっそりして歩いてゆきました。ひっそりしているとき子供たちは考えておりました。
 ――狐につかれるというのはどんなことかしらん。文六ちゃんの中に狐がはいることだろうか。文六ちゃんの姿や形はそのままでいて、心は狐になってしまうことだろうか。そうすると、いまもう、文六ちゃんは狐につかれているかもしれないわけだ。文六ちゃんは黙っているからわからないが、心の中はもう狐になってしまっているかもしれないわけだ。
 おなじ月夜で、おなじ野中の道では、誰でもおなじようなことを考えるものです。そこでみんなの足はしぜんにはやくなりました。
 ぐるりを低い桃の木でとりまかれた池のそばへ、道が来たときでした。子供たちの中で誰かが、
「コン」
と小さいせきをしました。
 ひっそりして歩いているときなので、みんなは、その小さい音でさえ、聞きおとすわけにはゆきませんでした。
 そこで子供たちは、今の咳は誰がしたか、こっそり調べました。すると――文六ちゃんがしたということがわかりました。
 文六ちゃんがコンと咳をした! それなら、この咳にはとくべつの意味があるのではないかと子供たちは考えました。よく考えて見るとそれは咳ではなかったようでした。狐の鳴声のようでした。
「コン」
とまた文六ちゃんがいいました。
 文六ちゃんは狐になってしまったと子供たちは思いました。わたしたちの中には狐が一匹はいっていると、みんなは恐ろしく思いました。

       五

 樽屋たるやの文六ちゃんの家は、みんなの家とは少しはなれたところにありました。ひろい、蜜柑畑みかんばたけになっている屋敷にかこわれて、一軒きり、谷地やちにぽつんと立っていました。子供たちはいつも、水車のところから少し廻りみちして、文六ちゃんを、その家の門口かどぐちまで送ってやることにしていました。なぜなら、文六ちゃんは樽屋の清六さんの一人きりの大事なぼっちゃんで、甘えん坊だからです。文六ちゃんのお母さんが、よく、蜜柑やお菓子をみんなにくれて、文六ちゃんと遊んでやってくれとたのみに来るからです。今晩も、お祭にゆくときには、その門口まで、文六ちゃんを迎えに行ってやったのでした。
 さてみんなは、とうとう、水車のところに来ました。水車の横から細い道がわかれて草の中を下へおりてゆきます。それが文六ちゃんの家にゆく道です。
 ところが、今夜は誰も、文六ちゃんのことを忘れてしまったかのように、送ってゆこうとするものがありません。忘れたどころではありません、文六ちゃんがこわいのです。
 甘えん坊の文六ちゃんは、それでも、いつも親切な義則君だけは、こちらへ来てくれるだろうと思って、うしろをむきむき、水車のかげになってゆきました。
 とうとう、だれも文六ちゃんといっしょにゆきませんでした。
 さて文六ちゃんは、ひとりで、月にあかるい谷地へおりてゆく細道をくだりはじめました。どこかで、かえるがくくみ声で鳴いていました。
 文六ちゃんは、ここから、じぶんの家までは、もうじきだから、誰も送ってくれなくても、困るわけではないのです。だが、いつもは送ってくれたのです、今夜にかぎっておくってくれないのです。
 文六ちゃんは、ぼけんとしているようでも、もうちゃんと知っているのです、みんなが、じぶんの下駄のことで何といいかわしたか、また、じぶんがせきをしたためにどういうことになったかを。
 祭にゆくまでは、あんなに、じぶんに親切にしてくれたみんなが、じぶんが、夜新しい下駄をはいて狐にとりつかれたかしれないために、もう誰一人かえりみてくれない、それが文六ちゃんにはなさけないのでした。
 義則君なんか文六ちゃんより四年級も上だけれど親切な子で、いつもなら、文六ちゃんが寒そうにしていると、洋服の上に着ている羽織はおりをぬいでかしてくれたものでした(田舎いなかの少年は寒い時、洋服の上に羽織を着ています)。それだのに、今夜は、文六ちゃんが、いくら咳をしていても羽織を貸してやろうとはいいませんでした。
 文六ちゃんの屋敷の外囲いになっているまき生垣いけがきのところに来ました。戸口どぐちの方の小さい木戸をあけて中にはいりながら、文六ちゃんは、じぶんの小さい影法師かげぼうしを見てふと、ある心配を感じました。
 ――ひょっとすると、じぶんはほんとうに狐につかれているかもしれない、ということでした。そうすると、お父さんやお母さんはじぶんをどうするだろうということでした。

       六

 お父さんが樽屋さんの組合へいつて、今晩はまだ帰らないので、文六ちゃんとお母さんはさきにやすむことになりました。
 文六ちゃんは初等科三年生なのにまだお母さんといっしょに寝るのです。ひとり子ですからしかたないのです。
「さあ、お祭の話を、母ちゃんにきかしておくれ」
とお母さんは、文六ちゃんのねまきのえりを合わせてやりながらいいました。
 文六ちゃんは、学校から帰れば学校のことを、町にゆけば町のことを、映画を見てくれば映画のことをお母さんにきかれるのです。文六ちゃんは話が下手へたですから、ちぎれちぎれに話をします。それでもお母さんは、とても面白がって、よろこんで文六ちゃんの話をきいてくれるのでした。
神子みこさんね、あれよく見たら、お多福湯のトネ子だったよ」
と文六ちゃんは話しました。
 お母さんは、そうかい、といって、面白そうに笑って、
「それから、もう誰が出たかわからなかったかい」
とききました。
 文六ちゃんはおもいだそうとするように、眼を大きく見ひらいて、じっとしていましたが、やがて、祭の話はやめて、こんなことをいいだしました。
「母ちゃん、夜、新しい下駄おろすと、狐につかれる?」
 お母さんは、文六ちゃんが何をいい出したかと思って、しばらく、あっけにとられて文六ちゃんの顔を見ていましたが、今晩、文六ちゃんの身の上に、おおよそどんなことが起ったか、けんとうがつきました。
「誰がそんなことをいった?」
 文六ちゃんはむきになって、じぶんのさきの問いをくりかえしました。
「ほんと?」
うそだよ、そんなこと。昔の人がそんなことをいっただけだよ」
「嘘だね?」
「嘘だとも」
「きっとだね」
「きっと」
 しばらく文六ちゃんは黙っていました。黙っている間に、大きい眼玉が二度ぐるりぐるりとまわりました。それからいいました。
「もし、ほんとだったらどうする?」
「どうするって、何を?」
とお母さんがききかえしました。
「もし、僕が、ほんとに狐になっちゃったらどうする?」
 お母さんは、しんからおかしいように笑いだしました。
「ね、ね、ね」
と文六ちゃんは、ちょっとてれくさいような顔をして、お母さんの胸を両手でぐんぐん押しました。
「そうさね」と、お母さんはちょっと考えていてからいいました。「そしたら、もう、家におくわけにゃいかないね」
 文六ちゃんは、それをきくと、さびしい顔つきをしました。
「そしたら、どこへゆく?」
鴉根山からすねやまの方にゆけば、今でも狐がいるそうだから、そっちへゆくさ」
「母ちゃんや父ちゃんはどうする?」
 するとお母さんは、大人おとなが子供をからかうときにするように、たいへんまじめな顔で、しかつべらしく、
「父ちゃんと母ちゃんは相談をしてね、かあいい文六が、狐になってしまったから、わしたちもこの世に何のたのしみもなくなってしまったで、人間をやめて、狐になることにきめますよ」
「父ちゃんも母ちゃんも狐になる?」
「そう、二人で、明日あしたの晩げに下駄屋さんから新しい下駄を買って来て、いっしょに狐になるね。そうして、文六ちゃんの狐をつれて鴉根の方へゆきましょう」
 文六ちゃんは大きい眼をかがやかせて、
「鴉根って、西の方?」
成岩なるわから西南の方の山だよ」
「深い山?」
「松の木がえているところだよ」
「猟師はいない?」
「猟師って鉄砲打ちのことかい? 山の中だからいるかも知れんね」
「猟師が撃ちに来たら、母ちゃんどうしよう?」
「深い洞穴ほらあなの中にはいって三人で小さくなっていれば見つからないよ」
「でも、雪が降るとえさがなくなるでしょう。餌を拾いに出たとき猟師の犬に見つかったらどうしよう」
「そしたら、いっしょうけんめい走って逃げましょう」
「でも、父ちゃんや母ちゃんは速いでいいけど、僕は子供の狐だもん、おくれてしまうもん」
「父ちゃんと母ちゃんが両方から手をひっぱってあげるよ」
「そんなことをしてるうちに、犬がすぐうしろに来たら?」
 お母さんはちょっと黙っていました。それから、ゆっくりいいました。もうしんからまじめな声でした。
「そしたら、母ちゃんは、びっこをひいてゆっくりいきましょう」
「どうして?」
「犬は母ちゃんにみつくでしょう、そのうちに猟師が来て、母ちゃんをしばってゆくでしょう。その間に、坊やとお父ちゃんは逃げてしまうのだよ」
 文六ちゃんはびっくりしてお母さんの顔をまじまじと見ました。
「いやだよ、母ちゃん、そんなこと。そいじゃ、母ちゃんがなしになってしまうじゃないか」
「でも、そうするよりしようがないよ、母ちゃんはびっこをひきひきゆっくりゆくよ」
「いやだったら、母ちゃん。母ちゃんがなくなるじゃないか」
「でもそうするよりしようがないよ、母ちゃんは、びっこをひきひきゆっくりゆっくり……」
「いやだったら、いやだったら、いやだったら!」
 文六ちゃんはわめきたてながら、お母さんの胸にしがみつきました。涙がどっと流れて来ました。
 お母さんも、ねまきのそででこっそり眼のふちをふきました、そして文六ちゃんがはねとばした、小さいまくらを拾って、あたまの下にあてがってやりました。