「その時私はしきりに人間らしいという言葉を使いました。Kはこの人間らしいという言葉のうちに、私が自分の弱点のすべてを隠しているというのです。なるほど後から考えれば、Kのいう通りでした。しかし人間らしくない意味をKに納得させるためにその言葉を使い出した私には、
出立点がすでに反抗的でしたから、それを反省するような余裕はありません。私はなおの事自説を主張しました。するとKが彼のどこをつらまえて人間らしくないというのかと私に聞くのです。私は彼に告げました。――君は人間らしいのだ。あるいは人間らし過ぎるかも知れないのだ。けれども口の先だけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おうとするのだ。
私がこういった時、彼はただ自分の修養が足りないから、
他にはそう見えるかも知れないと答えただけで、
一向私を
反駁しようとしませんでした。私は張合いが抜けたというよりも、かえって気の毒になりました。私はすぐ議論をそこで切り上げました。彼の調子もだんだん沈んで来ました。もし私が彼の知っている通り昔の人を知るならば、そんな攻撃はしないだろうといって
悵然としていました。Kの口にした昔の人とは、無論英雄でもなければ豪傑でもないのです。霊のために肉を
虐げたり、道のために
体を
鞭うったりしたいわゆる
難行苦行の人を指すのです。Kは私に、彼がどのくらいそのために苦しんでいるか
解らないのが、いかにも残念だと明言しました。
Kと私とはそれぎり寝てしまいました。そうしてその
翌る日からまた普通の
行商の態度に返って、うんうん汗を流しながら歩き出したのです。しかし私は
路々その晩の事をひょいひょいと思い出しました。私にはこの上もない
好い機会が与えられたのに、知らない
振りをしてなぜそれをやり過ごしたのだろうという悔恨の念が燃えたのです。私は人間らしいという抽象的な言葉を用いる代りに、もっと
直截で簡単な話をKに打ち明けてしまえば好かったと思い出したのです。実をいうと、私がそんな言葉を創造したのも、お嬢さんに対する私の感情が土台になっていたのですから、事実を
蒸溜して
拵えた理論などをKの耳に吹き込むよりも、
原の
形そのままを彼の眼の前に露出した方が、私にはたしかに利益だったでしょう。私にそれができなかったのは、学問の交際が基調を構成している二人の親しみに、
自から一種の惰性があったため、思い切ってそれを突き破るだけの勇気が私に欠けていたのだという事をここに自白します。気取り過ぎたといっても、虚栄心が
祟ったといっても同じでしょうが、私のいう気取るとか虚栄とかいう意味は、普通のとは少し違います。それがあなたに通じさえすれば、私は満足なのです。
我々は真黒になって東京へ帰りました。帰った時は私の気分がまた変っていました。人間らしいとか、人間らしくないとかいう
小理屈はほとんど頭の中に残っていませんでした。Kにも宗教家らしい様子が全く見えなくなりました。おそらく彼の心のどこにも霊がどうの肉がどうのという問題は、その時宿っていなかったでしょう。二人は異人種のような顔をして、忙しそうに見える東京をぐるぐる
眺めました。それから
両国へ来て、暑いのに
軍鶏を食いました。Kはその
勢いで
小石川まで歩いて帰ろうというのです。体力からいえばKよりも私の方が強いのですから、私はすぐ応じました。
宅へ着いた時、奥さんは二人の姿を見て驚きました。二人はただ色が黒くなったばかりでなく、むやみに歩いていたうちに大変
瘠せてしまったのです。奥さんはそれでも丈夫そうになったといって
賞めてくれるのです。お嬢さんは奥さんの矛盾がおかしいといってまた笑い出しました。旅行前時々腹の立った私も、その時だけは愉快な心持がしました。場合が場合なのと、久しぶりに聞いたせいでしょう。
「それのみならず
私はお嬢さんの態度の少し前と変っているのに気が付きました。久しぶりで旅から帰った私たちが
平生の通り落ち付くまでには、万事について女の手が必要だったのですが、その世話をしてくれる奥さんはとにかく、お嬢さんがすべて私の方を先にして、Kを
後廻しにするように見えたのです。それを露骨にやられては、私も迷惑したかもしれません。場合によってはかえって不快の念さえ起しかねなかったろうと思うのですが、お嬢さんの
所作はその点で甚だ要領を得ていたから、私は
嬉しかったのです。つまりお嬢さんは私だけに
解るように、
持前の親切を余分に私の方へ割り
宛ててくれたのです。だからKは別に
厭な顔もせずに平気でいました。私は心の
中でひそかに彼に対する
愷歌を奏しました。
やがて夏も過ぎて九月の
中頃から我々はまた学校の課業に出席しなければならない事になりました。Kと私とは
各自の時間の都合で出入りの刻限にまた遅速ができてきました。私がKより
後れて帰る時は一週に三度ほどありましたが、いつ帰ってもお嬢さんの影をKの
室に認める事はないようになりました。Kは例の眼を私の方に向けて、「今帰ったのか」を規則のごとく繰り返しました。私の会釈もほとんど器械のごとく簡単でかつ無意味でした。
たしか十月の中頃と思います。私は
寝坊をした結果、
日本服のまま急いで学校へ出た事があります。
穿物も
編上などを結んでいる時間が惜しいので、
草履を突っかけたなり飛び出したのです。その日は時間割からいうと、Kよりも私の方が先へ帰るはずになっていました。私は戻って来ると、そのつもりで玄関の
格子をがらりと開けたのです。するといないと思っていたKの声がひょいと聞こえました。同時にお嬢さんの笑い声が私の耳に響きました。私はいつものように
手数のかかる靴を
穿いていないから、すぐ玄関に上がって
仕切の
襖を開けました。私は例の通り机の前に
坐っているKを見ました。しかしお嬢さんはもうそこにはいなかったのです。私はあたかもKの
室から
逃れ出るように去るその
後姿をちらりと認めただけでした。私はKにどうして早く帰ったのかと問いました。Kは心持が悪いから休んだのだと答えました。私が自分の室にはいってそのまま坐っていると、間もなくお嬢さんが茶を持って来てくれました。その時お嬢さんは始めてお帰りといって私に
挨拶をしました。私は笑いながらさっきはなぜ逃げたんですと聞けるような
捌けた男ではありません。それでいて腹の中では何だかその事が気にかかるような人間だったのです。お嬢さんはすぐ座を立って
縁側伝いに向うへ行ってしまいました。しかしKの室の前に立ち留まって、
二言三言内と外とで話をしていました。それは
先刻の続きらしかったのですが、前を聞かない私にはまるで解りませんでした。
そのうちお嬢さんの態度がだんだん平気になって来ました。Kと私がいっしょに
宅にいる時でも、よくKの
室の縁側へ来て彼の名を呼びました。そうしてそこへ入って、ゆっくりしていました。無論郵便を持って来る事もあるし、洗濯物を置いてゆく事もあるのですから、そのくらいの交通は同じ宅にいる二人の関係上、当然と見なければならないのでしょうが、ぜひお嬢さんを専有したいという強烈な一念に動かされている私には、どうしてもそれが当然以上に見えたのです。ある時はお嬢さんがわざわざ私の室へ来るのを回避して、Kの方ばかりへ行くように思われる事さえあったくらいです。それならなぜKに宅を出てもらわないのかとあなたは聞くでしょう。しかしそうすれば私がKを無理に
引張って来た主意が立たなくなるだけです。私にはそれができないのです。
「十一月の寒い雨の降る日の事でした。
私は
外套を
濡らして例の通り
蒟蒻閻魔を抜けて細い
坂路を
上って
宅へ帰りました。Kの室は
空虚でしたけれども、火鉢には継ぎたての火が暖かそうに燃えていました。私も冷たい手を早く赤い炭の上に
翳そうと思って、急いで自分の室の
仕切りを開けました。すると私の火鉢には冷たい灰が白く残っているだけで、
火種さえ尽きているのです。私は急に不愉快になりました。
その時私の足音を聞いて出て来たのは、奥さんでした。奥さんは黙って室の真中に立っている私を見て、気の毒そうに外套を脱がせてくれたり、日本服を着せてくれたりしました。それから私が寒いというのを聞いて、すぐ次の
間からKの火鉢を持って来てくれました。私がKはもう帰ったのかと聞きましたら、奥さんは帰ってまた出たと答えました。その日もKは私より
後れて帰る時間割だったのですから、私はどうした訳かと思いました。奥さんは
大方用事でもできたのだろうといっていました。
私はしばらくそこに
坐ったまま
書見をしました。宅の中がしんと静まって、
誰の話し声も聞こえないうちに、
初冬の寒さと
佗びしさとが、私の
身体に食い込むような感じがしました。私はすぐ書物を伏せて立ち上りました。私はふと
賑やかな所へ行きたくなったのです。雨はやっと
歇ったようですが、空はまだ冷たい鉛のように重く見えたので、私は用心のため、
蛇の
目を肩に
担いで、
砲兵工廠の裏手の
土塀について東へ坂を
下りました。その時分はまだ道路の改正ができない
頃なので、坂の
勾配が今よりもずっと急でした。道幅も狭くて、ああ
真直ではなかったのです。その上あの谷へ下りると、南が高い建物で
塞がっているのと、
放水がよくないのとで、往来はどろどろでした。ことに細い石橋を渡って
柳町の通りへ出る間が
非道かったのです。
足駄でも長靴でもむやみに歩く訳にはゆきません。誰でも
路の真中に自然と細長く泥が
掻き分けられた所を、
後生大事に
辿って行かなければならないのです。その幅は
僅か一、二
尺しかないのですから、手もなく往来に敷いてある帯の上を踏んで向うへ越すのと同じ事です。行く人はみんな一列になってそろそろ通り抜けます。私はこの細帯の上で、はたりとKに出合いました。足の方にばかり気を取られていた私は、彼と向き合うまで、彼の存在にまるで気が付かずにいたのです。私は不意に自分の前が
塞がったので偶然眼を上げた時、始めてそこに立っているKを認めたのです。私はKにどこへ行ったのかと聞きました。Kはちょっとそこまでといったぎりでした。彼の答えはいつもの通りふんという調子でした。Kと私は細い帯の上で身体を
替せました。するとKのすぐ後ろに一人の若い女が立っているのが見えました。近眼の私には、今までそれがよく分らなかったのですが、Kをやり越した
後で、その女の顔を見ると、それが
宅のお嬢さんだったので、私は少なからず驚きました。お嬢さんは心持薄赤い顔をして、私に
挨拶をしました。その時分の
束髪は今と違って
廂が出ていないのです、そうして頭の
真中に
蛇のようにぐるぐる巻きつけてあったものです。私はぼんやりお嬢さんの頭を見ていましたが、次の瞬間に、どっちか
路を譲らなければならないのだという事に気が付きました。私は思い切ってどろどろの中へ片足
踏ん
込みました。そうして比較的通りやすい所を
空けて、お嬢さんを渡してやりました。
それから柳町の通りへ出た私はどこへ行って
好いか自分にも分らなくなりました。どこへ行っても面白くないような心持がするのです。私は
飛泥の上がるのも構わずに、
糠る
海の中を
自暴にどしどし歩きました。それから
直ぐ宅へ帰って来ました。
「私はKに向ってお嬢さんといっしょに出たのかと聞きました。Kはそうではないと答えました。
真砂町で偶然出会ったから連れ立って帰って来たのだと説明しました。私はそれ以上に立ち入った質問を控えなければなりませんでした。しかし食事の時、またお嬢さんに向って、同じ問いを掛けたくなりました。するとお嬢さんは私の嫌いな例の笑い方をするのです。そうしてどこへ行ったか
中ててみろとしまいにいうのです。その
頃の私はまだ
癇癪持ちでしたから、そう
不真面目に若い女から取り扱われると腹が立ちました。ところがそこに気の付くのは、同じ食卓に着いているもののうちで奥さん一人だったのです。Kはむしろ平気でした。お嬢さんの態度になると、知ってわざとやるのか、知らないで
無邪気にやるのか、そこの区別がちょっと
判然しない点がありました。若い女としてお嬢さんは思慮に富んだ
方でしたけれども、その若い女に共通な私の嫌いなところも、あると思えば思えなくもなかったのです。そうしてその嫌いなところは、Kが宅へ来てから、始めて私の眼に着き出したのです。私はそれをKに対する私の
嫉妬に
帰していいものか、または私に対するお嬢さんの技巧と
見傚してしかるべきものか、ちょっと分別に迷いました。私は今でも決してその時の私の嫉妬心を打ち消す気はありません。私はたびたび繰り返した通り、愛の
裏面にこの感情の働きを明らかに意識していたのですから。しかも
傍のものから見ると、ほとんど取るに足りない
瑣事に、この感情がきっと首を持ち上げたがるのでしたから。これは
余事ですが、こういう
嫉妬は愛の半面じゃないでしょうか。私は結婚してから、この感情がだんだん薄らいで行くのを自覚しました。その代り愛情の方も決して元のように猛烈ではないのです。
私はそれまで
躊躇していた自分の心を、
一思いに相手の胸へ
擲き付けようかと考え出しました。私の相手というのはお嬢さんではありません、奥さんの事です。奥さんにお嬢さんを
呉れろと明白な談判を開こうかと考えたのです。しかしそう決心しながら、一日一日と私は断行の日を延ばして行ったのです。そういうと私はいかにも
優柔な男のように見えます、また見えても構いませんが、実際私の進みかねたのは、意志の力に不足があったためではありません。Kの来ないうちは、
他の手に乗るのが
厭だという我慢が私を
抑え付けて、一歩も動けないようにしていました。Kの来た
後は、もしかするとお嬢さんがKの方に意があるのではなかろうかという疑念が絶えず私を制するようになったのです。はたしてお嬢さんが私よりもKに心を傾けているならば、この恋は口へいい出す価値のないものと私は決心していたのです。恥を
掻かせられるのが
辛いなどというのとは少し訳が違います。こっちでいくら思っても、向うが内心
他の人に愛の
眼を
注いでいるならば、私はそんな女といっしょになるのは厭なのです。世の中では
否応なしに自分の好いた女を嫁に
貰って
嬉しがっている人もありますが、それは私たちよりよっぽど世間ずれのした男か、さもなければ愛の心理がよく
呑み込めない
鈍物のする事と、当時の私は考えていたのです。一度貰ってしまえばどうかこうか落ち付くものだぐらいの哲理では、承知する事ができないくらい私は熱していました。つまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。同時にもっとも
迂遠な愛の実際家だったのです。
肝心のお嬢さんに、直接この私というものを打ち明ける機会も、長くいっしょにいるうちには時々出て来たのですが、私はわざとそれを避けました。日本の習慣として、そういう事は許されていないのだという自覚が、その頃の私には強くありました。しかし決してそればかりが私を束縛したとはいえません。日本人、ことに日本の若い女は、そんな場合に、相手に
気兼なく自分の思った通りを遠慮せずに口にするだけの勇気に乏しいものと私は見込んでいたのです。
「こんな訳で
私はどちらの方面へ向っても進む事ができずに立ち
竦んでいました。
身体の悪い時に
午睡などをすると、眼だけ
覚めて周囲のものが
判然見えるのに、どうしても手足の動かせない場合がありましょう。私は時としてああいう苦しみを人知れず感じたのです。
その
内年が暮れて春になりました。ある日奥さんがKに
歌留多をやるから
誰か友達を連れて来ないかといった事があります。するとKはすぐ友達なぞは一人もないと答えたので、奥さんは驚いてしまいました。なるほどKに友達というほどの友達は一人もなかったのです。往来で会った時
挨拶をするくらいのものは多少ありましたが、それらだって決して
歌留多などを取る
柄ではなかったのです。奥さんはそれじゃ私の知ったものでも呼んで来たらどうかといい直しましたが、私も
生憎そんな陽気な遊びをする心持になれないので、
好い加減な
生返事をしたなり、打ちやっておきました。ところが晩になってKと私はとうとうお嬢さんに引っ張り出されてしまいました。客も誰も来ないのに、
内々の
小人数だけで取ろうという歌留多ですからすこぶる静かなものでした。その上こういう遊技をやり付けないKは、まるで
懐手をしている人と同様でした。私はKに一体
百人一首の歌を知っているのかと尋ねました。Kはよく知らないと答えました。私の言葉を聞いたお嬢さんは、
大方Kを
軽蔑するとでも取ったのでしょう。それから眼に立つようにKの加勢をし出しました。しまいには二人がほとんど組になって私に当るという有様になって来ました。私は相手次第では
喧嘩を始めたかも知れなかったのです。幸いにKの態度は少しも最初と変りませんでした。彼のどこにも得意らしい様子を認めなかった私は、無事にその場を切り上げる事ができました。
それから二、三日
経った
後の事でしたろう、奥さんとお嬢さんは朝から市ヶ谷にいる親類の所へ行くといって
宅を出ました。Kも私もまだ学校の始まらない
頃でしたから、留守居同様あとに残っていました。私は書物を読むのも散歩に出るのも
厭だったので、ただ漠然と火鉢の
縁に
肱を載せて
凝と
顋を支えたなり考えていました。
隣の
室にいるKも
一向音を立てませんでした。双方ともいるのだかいないのだか分らないくらい静かでした。もっともこういう事は、二人の間柄として別に珍しくも何ともなかったのですから、私は別段それを気にも留めませんでした。
十時頃になって、Kは不意に仕切りの
襖を開けて私と顔を
見合せました。彼は敷居の上に立ったまま、私に何を考えていると聞きました。私はもとより何も考えていなかったのです。もし考えていたとすれば、いつもの通りお嬢さんが問題だったかも知れません。そのお嬢さんには無論奥さんも食っ付いていますが、近頃ではK自身が切り離すべからざる人のように、私の頭の中をぐるぐる
回って、この問題を複雑にしているのです。Kと顔を見合せた私は、今まで
朧気に彼を一種の邪魔ものの如く意識していながら、明らかにそうと答える訳にいかなかったのです。私は依然として彼の顔を見て黙っていました。するとKの方からつかつかと私の座敷へ入って来て、私のあたっている火鉢の前に
坐りました。私はすぐ
両肱を火鉢の縁から取り
除けて、心持それをKの方へ押しやるようにしました。
Kはいつもに似合わない話を始めました。奥さんとお嬢さんは市ヶ谷のどこへ行ったのだろうというのです。私は大方
叔母さんの所だろうと答えました。Kはその叔母さんは何だとまた聞きます。私はやはり軍人の
細君だと教えてやりました。すると女の年始は大抵十五日
過だのに、なぜそんなに早く出掛けたのだろうと質問するのです。私はなぜだか知らないと挨拶するより
外に仕方がありませんでした。
「Kはなかなか奥さんとお嬢さんの話を
已めませんでした。しまいには
私も答えられないような立ち入った事まで聞くのです。私は面倒よりも不思議の感に打たれました。以前私の方から二人を問題にして話しかけた時の彼を思い出すと、私はどうしても彼の調子の変っているところに気が付かずにはいられないのです。私はとうとうなぜ今日に限ってそんな事ばかりいうのかと彼に尋ねました。その時彼は突然黙りました。しかし私は彼の結んだ口元の肉が
顫えるように動いているのを注視しました。彼は元来無口な男でした。
平生から何かいおうとすると、いう前によく口のあたりをもぐもぐさせる
癖がありました。彼の唇がわざと彼の意志に反抗するように
容易く
開かないところに、彼の言葉の重みも
籠っていたのでしょう。
一旦声が口を破って出るとなると、その声には普通の人よりも倍の強い力がありました。
彼の口元をちょっと
眺めた時、私はまた何か出て来るなとすぐ
疳付いたのですが、それがはたして
何の準備なのか、私の予覚はまるでなかったのです。だから驚いたのです。彼の重々しい口から、彼のお嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像してみて下さい。私は彼の魔法棒のために一度に化石されたようなものです。口をもぐもぐさせる働きさえ、私にはなくなってしまったのです。
その時の私は恐ろしさの
塊りといいましょうか、または苦しさの塊りといいましょうか、何しろ一つの塊りでした。石か鉄のように頭から足の先までが急に固くなったのです。呼吸をする弾力性さえ失われたくらいに堅くなったのです。幸いな事にその状態は長く続きませんでした。私は一瞬間の
後に、また人間らしい気分を取り戻しました。そうして、すぐ
失策ったと思いました。
先を越されたなと思いました。
しかしその
先をどうしようという分別はまるで起りません。恐らく起るだけの余裕がなかったのでしょう。私は
腋の下から出る気味のわるい汗が
襯衣に
滲み
透るのを
凝と我慢して動かずにいました。Kはその
間いつもの通り重い口を切っては、ぽつりぽつりと自分の心を打ち明けてゆきます。私は苦しくって
堪りませんでした。おそらくその苦しさは、大きな広告のように、私の顔の上に
判然りした字で
貼り付けられてあったろうと私は思うのです。いくらKでもそこに気の付かないはずはないのですが、彼はまた彼で、自分の事に
一切を集中しているから、私の表情などに注意する暇がなかったのでしょう。彼の自白は最初から最後まで同じ調子で貫いていました。重くて
鈍い代りに、とても容易な事では動かせないという感じを私に与えたのです。私の心は半分その自白を聞いていながら、半分どうしようどうしようという念に絶えず
掻き乱されていましたから、
細かい点になるとほとんど耳へ入らないと同様でしたが、それでも彼の口に出す言葉の調子だけは強く胸に響きました。そのために私は前いった苦痛ばかりでなく、ときには一種の恐ろしさを感ずるようになったのです。つまり相手は自分より強いのだという恐怖の念が
萌し始めたのです。
Kの話が一通り済んだ時、私は何ともいう事ができませんでした。こっちも彼の前に同じ意味の自白をしたものだろうか、それとも打ち明けずにいる方が得策だろうか、私はそんな利害を考えて黙っていたのではありません。ただ何事もいえなかったのです。またいう気にもならなかったのです。
午食の時、Kと私は向い合せに席を占めました。
下女に給仕をしてもらって、私はいつにない
不味い
飯を済ませました。二人は食事中もほとんど口を
利きませんでした。奥さんとお嬢さんはいつ帰るのだか分りませんでした。
「二人は
各自の
室に引き取ったぎり顔を合わせませんでした。Kの静かな事は朝と同じでした。
私も
凝と考え込んでいました。
私は当然自分の心をKに打ち明けるべきはずだと思いました。しかしそれにはもう時機が
後れてしまったという気も起りました。なぜ
先刻Kの言葉を
遮って、こっちから逆襲しなかったのか、そこが非常な
手落りのように見えて来ました。せめてKの
後に続いて、自分は自分の思う通りをその場で話してしまったら、まだ好かったろうにとも考えました。Kの自白に一段落が付いた今となって、こっちからまた同じ事を切り出すのは、どう思案しても変でした。私はこの不自然に打ち勝つ方法を知らなかったのです。私の頭は悔恨に
揺られてぐらぐらしました。
私はKが再び
仕切りの
襖を
開けて向うから突進してきてくれれば
好いと思いました。私にいわせれば、先刻はまるで
不意撃に会ったも同じでした。私にはKに応ずる準備も何もなかったのです。私は午前に失ったものを、今度は取り戻そうという
下心を持っていました。それで時々眼を上げて、襖を
眺めました。しかしその襖はいつまで
経っても
開きません。そうしてKは永久に静かなのです。
その
内私の頭は段々この静かさに
掻き乱されるようになって来ました。Kは今襖の向うで何を考えているだろうと思うと、それが気になって
堪らないのです。不断もこんな
風にお互いが仕切一枚を間に置いて黙り合っている場合は始終あったのですが、私はKが静かであればあるほど、彼の存在を忘れるのが普通の状態だったのですから、その時の私はよほど調子が狂っていたものと見なければなりません。それでいて私はこっちから進んで襖を開ける事ができなかったのです。
一旦いいそびれた私は、また向うから働き掛けられる時機を待つより
外に仕方がなかったのです。
しまいに私は
凝としておられなくなりました。無理に凝としていれば、Kの部屋へ飛び込みたくなるのです。私は仕方なしに立って縁側へ出ました。そこから茶の間へ来て、何という目的もなく、
鉄瓶の湯を
湯呑に
注で一杯呑みました。それから玄関へ出ました。私はわざとKの室を回避するようにして、こんな風に自分を往来の真中に
見出したのです。私には無論どこへ行くという
的もありません。ただ
凝としていられないだけでした。それで方角も何も構わずに、正月の町を、むやみに歩き
廻ったのです。私の頭はいくら歩いてもKの事でいっぱいになっていました。私もKを
振い落す気で歩き廻る訳ではなかったのです。むしろ自分から進んで彼の姿を
咀嚼しながらうろついていたのです。
私には第一に彼が
解しがたい男のように見えました。どうしてあんな事を突然私に打ち明けたのか、またどうして打ち明けなければいられないほどに、彼の恋が
募って来たのか、そうして平生の彼はどこに吹き飛ばされてしまったのか、すべて私には解しにくい問題でした。私は彼の強い事を知っていました。また彼の
真面目な事を知っていました。私はこれから私の取るべき態度を決する前に、彼について聞かなければならない多くをもっていると信じました。同時にこれからさき彼を相手にするのが変に気味が悪かったのです。私は夢中に町の中を歩きながら、自分の室に
凝と
坐っている彼の
容貌を始終眼の前に
描き出しました。しかもいくら私が歩いても彼を動かす事は到底できないのだという声がどこかで聞こえるのです。つまり私には彼が一種の魔物のように思えたからでしょう。私は永久彼に
祟られたのではなかろうかという気さえしました。
私が疲れて
宅へ帰った時、彼の室は依然として
人気のないように静かでした。
「私が家へはいると間もなく
俥の音が聞こえました。今のように
護謨輪のない時分でしたから、がらがらいう
厭な
響きがかなりの距離でも耳に立つのです。車はやがて門前で留まりました。
私が
夕飯に呼び出されたのは、それから三十分ばかり
経った
後の事でしたが、まだ奥さんとお嬢さんの
晴着が脱ぎ
棄てられたまま、次の室を乱雑に
彩っていました。二人は遅くなると私たちに済まないというので、飯の支度に間に合うように、急いで帰って来たのだそうです。しかし奥さんの親切はKと私とに取ってほとんど無効も同じ事でした。私は食卓に坐りながら、言葉を惜しがる人のように、
素気ない
挨拶ばかりしていました。Kは私よりもなお
寡言でした。たまに
親子連で外出した女二人の気分が、また
平生よりは
勝れて晴れやかだったので、我々の態度はなおの事眼に付きます。奥さんは私にどうかしたのかと聞きました。私は少し心持が悪いと答えました。実際私は心持が悪かったのです。すると今度はお嬢さんがKに同じ問いを掛けました。Kは私のように心持が悪いとは答えません。ただ口が
利きたくないからだといいました。お嬢さんはなぜ口が利きたくないのかと
追窮しました。私はその時ふと重たい
瞼を上げてKの顔を見ました。私にはKが何と答えるだろうかという好奇心があったのです。Kの唇は例のように少し
顫えていました。それが知らない人から見ると、まるで返事に迷っているとしか思われないのです。お嬢さんは笑いながらまた何かむずかしい事を考えているのだろうといいました。Kの顔は心持薄赤くなりました。
その晩私はいつもより早く
床へ入りました。私が食事の時気分が悪いといったのを気にして、奥さんは十時頃
蕎麦湯を持って来てくれました。しかし私の
室はもう
真暗でした。奥さんはおやおやといって、仕切りの
襖を細目に開けました。
洋燈の光がKの机から
斜めにぼんやりと私の室に差し込みました。Kはまだ起きていたものとみえます。奥さんは
枕元に坐って、
大方風邪を引いたのだろうから
身体を
暖ためるがいいといって、
湯呑を顔の
傍へ突き付けるのです。私はやむをえず、どろどろした蕎麦湯を奥さんの見ている前で飲みました。
私は遅くなるまで暗いなかで考えていました。無論一つ問題をぐるぐる
廻転させるだけで、
外に何の効力もなかったのです。私は突然Kが今隣りの室で何をしているだろうと思い出しました。私は半ば無意識においと声を掛けました。すると向うでもおいと返事をしました。Kもまだ起きていたのです。私はまだ寝ないのかと襖ごしに聞きました。もう寝るという簡単な
挨拶がありました。何をしているのだと私は重ねて問いました。今度はKの答えがありません。その代り五、六分経ったと思う頃に、
押入をがらりと開けて、
床を延べる音が手に取るように聞こえました。私はもう
何時かとまた尋ねました。Kは一時二十分だと答えました。やがて
洋燈をふっと吹き消す音がして、
家中が真暗なうちに、しんと静まりました。
しかし私の眼はその暗いなかでいよいよ
冴えて来るばかりです。私はまた半ば無意識な状態で、おいとKに声を掛けました。Kも以前と同じような調子で、おいと答えました。私は
今朝彼から聞いた事について、もっと詳しい話をしたいが、彼の都合はどうだと、とうとうこっちから切り出しました。私は無論
襖越にそんな談話を交換する気はなかったのですが、Kの返答だけは即坐に得られる事と考えたのです。ところがKは
先刻から二度おいと呼ばれて、二度おいと答えたような
素直な調子で、今度は応じません。そうだなあと低い声で渋っています。私はまたはっと思わせられました。
「Kの
生返事は
翌日になっても、その翌日になっても、彼の態度によく現われていました。彼は自分から進んで例の問題に触れようとする
気色を決して見せませんでした。もっとも機会もなかったのです。奥さんとお嬢さんが
揃って一日
宅を
空けでもしなければ、二人はゆっくり落ち付いて、そういう事を話し合う訳にも行かないのですから。
私はそれをよく心得ていました。心得ていながら、変にいらいらし出すのです。その結果始めは向うから来るのを待つつもりで、
暗に用意をしていた私が、折があったらこっちで口を切ろうと決心するようになったのです。
同時に私は黙って
家のものの様子を観察して見ました。しかし奥さんの態度にもお嬢さんの
素振にも、別に
平生と変った点はありませんでした。Kの自白以前と自白以後とで、彼らの挙動にこれという差違が生じないならば、彼の自白は単に私だけに限られた自白で、
肝心の本人にも、またその監督者たる奥さんにも、まだ通じていないのは
慥かでした。そう考えた時私は少し安心しました。それで無理に機会を
拵えて、わざとらしく話を持ち出すよりは、自然の与えてくれるものを取り逃さないようにする方が好かろうと思って、例の問題にはしばらく手を着けずにそっとしておく事にしました。
こういってしまえば大変簡単に聞こえますが、そうした心の経過には、
潮の
満干と同じように、色々の
高低があったのです。私はKの動かない様子を見て、それにさまざまの意味を付け加えました。奥さんとお嬢さんの言語動作を観察して、二人の心がはたしてそこに現われている通りなのだろうかと
疑ってもみました。そうして人間の胸の中に装置された複雑な器械が、時計の針のように、
明瞭に
偽りなく、
盤上の数字を指し
得るものだろうかと考えました。要するに私は同じ事をこうも取り、ああも取りした
揚句、
漸くここに落ち付いたものと思って下さい。更にむずかしくいえば、落ち付くなどという言葉は、この際決して使われた義理でなかったのかも知れません。
その
内学校がまた始まりました。私たちは時間の同じ日には連れ立って
宅を出ます。都合がよければ帰る時にもやはりいっしょに帰りました。外部から見たKと私は、何にも前と違ったところがないように親しくなったのです。けれども腹の中では、
各自に
各自の事を勝手に考えていたに違いありません。ある日私は突然往来でKに肉薄しました。私が第一に聞いたのは、この間の自白が私だけに限られているか、または奥さんやお嬢さんにも通じているかの点にあったのです。私のこれから取るべき態度は、この問いに対する彼の答え次第で
極めなければならないと、私は思ったのです。すると彼は
外の人にはまだ
誰にも打ち明けていないと明言しました。私は事情が自分の推察通りだったので、内心
嬉しがりました。私はKの私より横着なのをよく知っていました。彼の度胸にも
敵わないという自覚があったのです。けれども一方ではまた妙に彼を信じていました。学資の事で
養家を三年も
欺いていた彼ですけれども、彼の信用は私に対して少しも損われていなかったのです。私はそれがためにかえって彼を信じ出したくらいです。だからいくら疑い深い私でも、明白な彼の答えを腹の中で否定する気は起りようがなかったのです。
私はまた彼に向って、彼の恋をどう取り扱うつもりかと尋ねました。それが単なる自白に過ぎないのか、またはその自白についで、実際的の効果をも収める気なのかと問うたのです。しかるに彼はそこになると、何にも答えません。黙って下を向いて歩き出します。私は彼に
隠し立てをしてくれるな、すべて思った通りを話してくれと頼みました。彼は何も私に隠す必要はないと
判然断言しました。しかし私の知ろうとする点には、
一言の返事も与えないのです。私も往来だからわざわざ立ち留まって
底まで突き留める訳にいきません。ついそれなりにしてしまいました。
「ある日私は久しぶりに学校の図書館に入りました。私は広い机の片隅で窓から射す光線を半身に受けながら、新着の外国雑誌を、あちらこちらと
引っ
繰り返して見ていました。私は担任教師から専攻の学科に関して、次の週までにある事項を調べて来いと命ぜられたのです。しかし私に必要な事柄がなかなか見付からないので、私は二度も三度も雑誌を借り替えなければなりませんでした。最後に私はやっと自分に必要な論文を探し出して、一心にそれを読み出しました。すると突然幅の広い机の向う側から小さな声で私の名を呼ぶものがあります。私はふと眼を上げてそこに立っているKを見ました。Kはその上半身を机の上に折り曲げるようにして、彼の顔を私に近付けました。ご承知の通り図書館では
他の人の邪魔になるような大きな声で話をする訳にゆかないのですから、Kのこの
所作は誰でもやる普通の事なのですが、私はその時に限って、一種変な心持がしました。
Kは低い声で勉強かと聞きました。私はちょっと調べものがあるのだと答えました。それでもKはまだその顔を私から放しません。同じ低い調子でいっしょに散歩をしないかというのです。私は少し待っていればしてもいいと答えました。彼は待っているといったまま、すぐ私の前の空席に腰をおろしました。すると私は気が散って急に雑誌が読めなくなりました。何だかKの胸に
一物があって、談判でもしに来られたように思われて仕方がないのです。私はやむをえず読みかけた雑誌を伏せて、立ち上がろうとしました。Kは落ち付き払ってもう済んだのかと聞きます。私はどうでもいいのだと答えて、雑誌を返すと共に、Kと図書館を出ました。
二人は別に行く所もなかったので、
竜岡町から
池の
端へ出て、
上野の公園の中へ入りました。その時彼は例の事件について、突然向うから口を切りました。前後の様子を
綜合して考えると、Kはそのために私をわざわざ散歩に
引っ
張り
出したらしいのです。けれども彼の態度はまだ実際的の方面へ向ってちっとも進んでいませんでした。彼は私に向って、ただ漠然と、どう思うというのです。どう思うというのは、そうした恋愛の
淵に
陥った彼を、どんな眼で私が
眺めるかという質問なのです。
一言でいうと、彼は現在の自分について、私の批判を求めたいようなのです。そこに私は彼の
平生と異なる点を確かに認める事ができたと思いました。たびたび繰り返すようですが、彼の天性は
他の思わくを
憚かるほど弱くでき上ってはいなかったのです。こうと信じたら一人でどんどん進んで行くだけの度胸もあり勇気もある男なのです。
養家事件でその特色を強く胸の
裏に
彫り付けられた私が、これは様子が違うと明らかに意識したのは当然の結果なのです。
私がKに向って、この際
何んで私の批評が必要なのかと尋ねた時、彼はいつもにも似ない
悄然とした口調で、自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしいといいました。そうして迷っているから自分で自分が分らなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより
外に仕方がないといいました。私は
隙かさず迷うという意味を聞き
糺しました。彼は進んでいいか
退いていいか、それに迷うのだと説明しました。私はすぐ一歩先へ出ました。そうして退こうと思えば退けるのかと彼に聞きました。すると彼の言葉がそこで不意に行き詰りました。彼はただ苦しいといっただけでした。実際彼の表情には苦しそうなところがありありと見えていました。もし相手がお嬢さんでなかったならば、私はどんなに彼に都合のいい返事を、その
渇き切った顔の上に
慈雨の如く
注いでやったか分りません。私はそのくらいの美しい同情をもって生れて来た人間と自分ながら信じています。しかしその時の私は違っていました。