四
朝起きると
春雨がしとしとと降っていた。
ぬれた麦の緑と菜の花の黄いろとはいつもよりはきわだって美しく野をいろどった。村の道を
蛇の
目傘が一つ通って行った。
清三は八時過ぎに、
番傘を借りて雨をついて出た。それには三田ヶ谷村役場と黒々と大きく書きつけてあった。
小川屋のかたわらの
川縁の繁みからは、
雨滴れがはらはらと傘の上に乱れ落ちた。
錆びた黒い水には
蠑螈が赤い腹を見せている。ふと街道の取つきの家から、小川屋のお種という色白娘が、白い手拭いで髪をおおったまま、傘もささずに、大きな
雨滴れの落ちる
木陰を急いで
此方にやって来たが、二三歩前で、清三と顔見合わせて、ちょっと
会釈して笑顔を見せて通り過ぎた。
学校はまだ授業が始まらぬので、門から下駄箱の見えるほとりには、生徒の傘がぞろぞろと続いた。男生徒も女生徒も多くは包みを腰のところにしょって尻をからげて歩いて来る。雨の降る中をぬれそぼちながら、傘を車の輪のように地上に回して来る
頑童もあれば、傘の柄を
頸のところで押さえて、
編棒と毛糸とを動かして歩いて来る十二三の娘もあった。この生徒らを来週からは自分が教えるのだと思って、清三はその前を通った。
明方から降り出した雨なので、
路はまだそうたいして悪くなかった。車や馬の通ったところはグシャグシャしているが、拾えば
泥濘にならぬところがいくらもある。路の
縁の乾いた土には雨がまだわずかにしみ込んだばかりであった。
井泉村の役場に助役を訪ねてみたが、まだ出勤していなかった。路に沿った長い汚ない
溝には、
藻や
藺や
葦の新芽や
沢瀉がごたごたと
生えて、
淡竹の雨をおびた
藪がその上におおいかぶさった。
雨滴れがばらばら落ちた。
路のほとりに軒の
傾むいた小さな百姓家があって、壁には
鋤や
犁や古い
蓑などがかけてある。髪の乱れた肥った
嚊が柱によりかかって、今年生まれた
赤児に乳を飲ませていると、亭主らしい
鬚面の四十男は、雨に仕事のできぬのを退屈そうに、手を伸ばして大きなあくびをしていた。
鎮守の八幡宮の
茅葺の古い社殿は街道から見えるところにあった。
華表のかたわらには社殿修繕の寄付金の姓名と
額とが古く新しく並べて書いてある。
周囲の
欅の大木にはもう新芽がきざし始めた。
賽銭箱の前には、
額髪を手拭いで巻いた
子傅が二人、子守歌を調子よくうたっていた。
昨日の売れ残りのふかし
甘薯がまずそうに並べてある店もあった。雨は細く糸のようにその
低き軒をかすめた。
畑にはようやく芽を出しかけた桑、眼もさめるように黄いろい菜の花、げんげや
菫や草の
生えている
畔、遠くに杉や
樫の森にかこまれた豪農の
白壁も見える。
青縞を織る音がところどころに聞こえる。チャンカラチャンカラと忙しそうな調子がたえず響いて来る。時にはあたりにそれらしい人家も見えないのに、どこで織ってるのだろうと思わせることもある。
唄が若々しい調子で聞こえて来ることもある。
発戸河岸のほうにわかれる
路の
角には、ここらで評判だという
饂飩屋があった。朝から
大釜には湯がたぎって、
主らしい男が、大きなのべ板にうどん粉をなすって、せっせと玉を伸ばしていた。赤い
襷をかけた若い女中が
馴染らしい百姓と笑って話をしていた。
路の曲がったところに、古い石が立ててある。維新前からある境界石で、「これより
羽生領」としてある。
ひょろ長い
榛の片側並木が
田圃の間に一しきり長く続く。それに沿って細い川が流れて
萌え出した水草のかげを
小魚がちょろちょろ泳いでいる。羽生から
大越に通う乗合馬車が
泥濘を飛ばして通って行った。
来る時には、
路傍のこけら
葺の汚ない
だるま屋の二階の屋根に、
襟垢のついた
蒲団が昼の日ののどかな光に干されて、下では蒼白い顔をした女がせっせと
張り
物をしていたが、今日は障子がびっしゃりと閉じられて、日当たりの悪いところには青ごけの生えたのが汚なく眼についた。
だんだん道が悪くなって来た。拾って歩いてもピシャピシャしないようなところはもうなくなった。足の
踵を離さないようにして歩いても、すりへらした駒下駄からはたえず
ハネがあがった。風が出て雨も横しぶきになって
袖もぬれてしまった。
羽生の町はさびしかった。時々番傘や蛇の目傘が通るばかり、
庇の長く出た広い通りは
森閑としている。郵便局の前には
為替を受け取りに来た若い女が立っているし、呉服屋の店には番頭と小僧とがかたまって話をしているし、
足袋屋の店には青縞と
雲斎織りとが
積み重ねられたなかで、職人がせっせと
足袋を縫っていた。新式に
硝子戸の店を造った
唐物屋の前には、自転車が一個、なかばは軒の
雨滴れにぬれながら置かれてある。
町の四辻には
半鐘台が高く立った。
そこから
行田道はわかれている。
煙草屋、うどん屋、
医師の大きな玄関、
塀の上にそびえている形のおもしろい松、
吹井が清い水をふいている豪家の前を向こうに出ると、草の
生えた
溝があって、白いペンキのはげた門に、羽生分署という札がかかっている。巡査が一人、剣をじゃらつかせて、雨の降りしきる中を出て来た。
それからまた裏町の人家が続いた。多くはこけら
葺の古い貧しい家
並みである。馬車屋の前に、乗合馬車が一台あって、もう出るとみえて、客が二三人乗り込んでいた。清三は立ちどまって聞いたが、あいにくいっぱいで乗せてもらう余地がなかった。
清三の姿はなおしばらくその裏町の古い家並みの間に見えていたが、ふと、とある小さな家の
大和障子をあけてはいって行った。中には中年のかみさんがいた。
「下駄を一つ貸していただきたいんですが……、
弥勒から雨に降られてへいこうしてしまいました」
「お安いご用ですとも」
かみさんは
足駄を出してくれた。
足駄の歯はすれて曲がって、歩きにくいこと一通りでなかった。
駒下駄よりはいいが、
ハネはやっぱり少しずつあがった。
かれはついに
新郷から十五銭で車に乗った。
五
家は
行田町の大通りから、昔の
城址のほうに行く横町にあった。
角に柳の湯という湯屋があって、それと対して、きれいな女中のいる料理屋の入り口が見える。
棟割長屋を一軒仕切ったというような軒の低い家で、風雨にさらされて黒くなった
大和障子に糸のような細い雨がはすに降りかかった。隣には
蚕の
仲買いをする人が住んでいて、その時節になると、狭い座敷から台所、茶の間、入り口まで、白い
繭でいっぱいになって、朝から晩までごたごたと人が出はいりするのが例であるが、今は
建てつけの悪い障子がびっしゃりと
閉って、あたりがしんとしていた。
清三は大和障子をがらりとあけて中にはいった。
年のころ四十ぐらいの品のいい
丸髷に
結った母親が、
裁物板を前に、あたりに
鋏、糸巻き、針箱などを散らかして、せっせと賃仕事をしていたが、障子があいて、
子息の顔がそこにあらわれると、
「まア、清三かい」
と呼んで立って来た。
「まア、雨が降ってたいへんだったねえ!」
ぬれそぼちた袖やら、はねのあがった
袴などをすぐ見てとったが、言葉をついで、
「あいにくだッたねえ、お前。昨日の工合いでは、こんな天気になろうとは思わなかったのに……ずっと歩いて来たのかえ」
「歩いて
来ようと思ったけれど、
新郷に安いかえり車があったから乗って来た」
見なれぬ
足駄をはいているのを見て、
「どこから借りて来たえ、
足駄を?」
「
峰田で」
「そうかえ、峰田で借りて来たのかえ……。ほんとうにたいへんだったねえ」こう言って、
雑巾を勝手から持って来ようとすると、
「雑巾ではだめだよ。
母さん。バケツに水を汲んでくださいな」
「そんなに汚れているかえ」
と言いながら勝手からバケツに水を半分ほど汲んで来る。
乾いた
手拭いをもそこに出した。
清三はきれいに足を洗って、手拭いで拭いて上にあがった。母親はその間に、
結城縞の綿入れと、自分の
紬の
衣服を縫い直した羽織とをそろえてそこに出して、脱いだ羽織と
袴とを手ばしこく
衣紋竹にかける。
二人はやがて長火鉢の前にすわった。
「どうだったえ?」
母親は
鉄瓶の下に火をあらけながら、心にかかるその
様子をきく。
かいつまんで清三が話すと、
「そうだってねえ、手紙が今朝着いたよ。どうしてそんな不都合なことになっていたんだろうねえ」
「なあに、少し早く行き過ぎたのさ」
「それで、話はどうきまったえ?」
「来週から出ることになった」
「それはよかったねえ」
喜びの色が母親の顔にのぼった。
それからそれへと話は続いた。校長さんはどういう人だの、やさしそうな人かどうかの、
弥勒という所はどんなところかの、下宿するよいところがあったかのと、いろいろなことを持ち出して母親は聞いた。清三はいちいちそれを話して聞かせた。
「お
父さんは?」
しばらくして、清三がこうきいた。
「ちょっと
下忍まで行ッて来るッて出かけて行ったよ。どうしても少しお
銭をこしらえて来なくってはッてね……。雨が降るから、
明日にしたらいいだろうと言ったんだけれど……」
清三は黙ってしまった。貧しい自分の家のことがいまさらに
頭脳にくり返される。父親の働きのないことがはがゆいようにも思われるが、いっぽうにはまた、
好人物で、善人で、人にだまされやすい弱い鈍い性質を持っていながら、
贋物の
書画を人にはめることを職業にしているということにはなはだしく不快を感じた。正直なかれの心には、父親の職業は人間のすべき正業ではないようにつねに考えられているのである。
だまされさえしなければ、今でも
相応な呉服屋の店を持っていられたのである。こう思うと、何も知らぬ母親に対する同情とともに、正業でない職業とはいいながら、こうした雨の降る日に、わずか五十銭か一円の銭で、一里もあるところに出かけて行く老いた父親を気の毒に思った。
やがて
鉄瓶がチンチン音を立て始めた。
母親は古い
茶箪笥から茶のはいった
罐と
急須とを取った。茶はもう
粉になっていた。火鉢の
抽斗しの紙袋には
塩煎餅が二枚しか残っていなかった。
清三は夕暮れ近くまで、母親の
裁縫するかたわらの暗い窓の下で、
熊谷にいる同窓の友に手紙を書いたり、新聞を読んだりしていた。友の手紙には恋のことやら詩のことやら
明星派の歌のことやら我ながら若々しいと思うようなことを
罫紙に二枚も三枚も書いた。
四時ごろから雨ははれた。路はまだグシャグシャしている。父親が不成功で帰って来たので、家庭の空気がなんとなく重々しく、親子三人黙って夕飯を
食っていると、「ご免なさい」という声を先にたてて、
建てつけの悪い
大和障子をあけようとする人がある。
母親が立って行って、
「まア……さあ、どうぞ」
「いいえ、ちょっと、湯に参りましたのですが、帰りにねえ、
貴女、お宅へあがって、今日は土曜日だから、清三さんがお帰りになったかどうか
郁治がうかがって来いと申しますものですから……いつもご無沙汰ばかりいたしておりましてねえ、まアほんとうに」
「まア、どうぞおかけくださいまし……、おや雪さんもごいっしょに、……さア、雪さん、こっちにおはいりなさいましよ」
と女同士はしきりにしゃべりたてる。郁治の妹の雪子はやせぎすなすらりとした
田舎にはめずらしいいい娘だが、湯上がりの薄く
化粧した白い顔を夕暮れの暗くなりかけた空気にくっきりと浮き出すように見せて、ぬれ手拭いに石鹸箱を包んだのを持って立っていた。
「さア、こんなところですけど……」
「いいえ、もうそうはいたしてはおりませんから」
「それでもまア、ちょっとおかけなさいましな」
この会話にそれと知った清三は、
箸を捨てて立ってそこに出て来た。母親どもの挨拶し合っている向こうに雪子の立っているのをちょっと見て、すぐ眼をそらした。
郁治の母親は清三の顔を見て、
「お帰りになりましたね、郁治が待っておりますから……」
「今夜あがろうと思っていました」
「それじゃ、どうぞお遊びにおいでくださいまし、毎日行ったり来たりしていた方が急においでにならなくなると、あれも
淋しくってしかたがないとみえましてね……それに、ほかに仲のいいお友だちもないものですから……」
郁治の母親はやがて帰って行く。清三も母親もふたたび
茶湯台に向かった。親子はやはり黙って夕飯を食った。
湯を飲む時、母親は急に、
「雪さん、たいへんきれいになんなすったな!」
とだれに向かって言うともなく言った。けれどだれもそれに調子を合わせるものもなかった。父親の茶漬けをかき込む音がさらさらと聞こえた。清三は
沢庵をガリガリ食った。日は暮れかかる。雨はまた降り出した。
六
加藤の家は五町と隔たっておらなかった。公園道のなかばから左に折れて、裏町の間を少し行くと、やがていっぽう麦畑いっぽう
垣根になって、夏は
紅と白の
木槿が咲いたり、
胡瓜や
南瓜が
生ったりした。
緑陰の
重なった夕闇に
螢の飛ぶのを、雪子やしげ子と追い回したこともあれば、寒い冬の月夜を
歌留多にふかして、からころと
跫音高く帰って来たこともあった。細い
巷路の杉垣の奥の門と瓦屋根、それはかれにとってまことに少なからぬ
追憶がある。
今日は桜の葉をとおして
洋燈の光がキラキラと雨にぬれて光っていた。雪子の色の白いとりすました顔や、繁子のあどけなくにこにこと笑って迎えるさまや、晩酌に酔って機嫌よく話しかける父親の
様子などがまだ訪問せぬうちからはっきりと目に見えるような気がする。笑い声がいつも絶えぬ平和な友の家庭をうらやましく思ったことも一度や二度ではなかった。
郡視学といえば、
田舎ではずいぶん
こわ持てのするほうで、むずかしい、理屈ぽい、とりつきにくい
質のものが多いが、郁治の父親は、物のわかりが早くって、優しくって、親切で、そして口をきくほうにかけてもかなり
重味があると人から思われていた。
鬚はなかば白く、髪にもチラチラ
交っているが、気はどちらかといえば若いほうで、青年を相手に教育上の議論などをあかずにして聞かせることもあった。清三と郁治と話している
室に来ては、二人を相手にいろいろなことを語った。
門をあけると、ベルがチリチリンと鳴った。踏み石をつたって、入り口の格子戸の前に立つと、
洋燈を持って迎えに出たしげ子の笑顔が浮き出すように闇の中にいる清三の眼にうつった。
「林さん?」
と、のぞくようにして見て、
「兄さん、林さん」
と高い無邪気な声をたてる。
父親は今日熊谷に行って不在であった。子供がいないので、室がきれいに片づいている。掃除も行き届いて、茶の間の
洋燈も明るかった。母親は長火鉢の前に、晴れやかな顔をしてすわっていた。雪子は勝手で
跡仕舞いをしていたが、ちょうどそれが終わったので、白い前掛けで手を拭き拭き茶の間に来た。
挨拶をしていると、郁治は奥から出て来て、清三をそのまま自分の書斎につれて行った。
書斎は四畳半であった。
桐の古い本箱が積み重ねられて、
綱鑑易知録、史記、五経、
唐宋八家本などと書いた白い紙がそこに張られてあった、三尺の
半床の
草雲の蘭の
幅のかかっているのが
洋燈の遠い光におぼろげに見える。
洋燈の
載った
朴の大きな机の上には、明星、文芸倶楽部、万葉集、一葉全集などが乱雑に散らばって置かれてある。
一年も会わなかったようにして、二人は熱心に話した。いろいろな話が絶え間なく二人の口から出る。
「君はどう
決まった?」
しばらくして清三がたずねた。
「来年の春、高等
師範を受けてみることにした。それまでは、ただおってもしかたがないからここの学校に教員に出ていて、そして勉強しようとおもう……」
「
熊谷の
小畑からもそう言って来たよ。やっぱり高師を受けてみるッて」
「そう、君のところにも言って来たかえ、僕のところにも言って来たよ」
「小島や杉谷はもう東京に行ったッてねえ」
「そう書いてあったね」
「どこにはいるつもりだろう?」
「小島は第一を志願するらしい」
「杉谷は?」
「先生はどうするんだか……どうせ、先生は学費になんか困らんのだから、どうでも好きにできるだろう」
「この町からも東京に行くものはあるかね?」
「そう」と郁治は考えて「佐藤は行くようなことを言っていたよ」
「どういう方面に?」
「工業学校にはいるつもりらしい」
同窓に関する話がつきずに出た。清三の身にしては、将来の方針を定めて、てんでに出たい方面に出て行く友だちがこのうえもなくうらやましかった。中学校にいるうちから、卒業してあとの境遇をあらかじめ想像せぬでもなかったが、その時はまたその時で、思わぬ運が思わぬところから向いて来ないとも限らないと、しいて心を安んじていた。けれどそれは空想であった。家庭の
餓は日に日にその身を実際生活に近づけて行った。
かれはまた母親から
優しい温かい血をうけついでいた。幼い時から
小波のおじさんのお
伽噺を読み、小説や歌や俳句に若い思いをわかしていた。
体の発達するにつれて、心は燃えたり冷えたりした。町の若い娘たちの
眼色をも読み得るようにもなった。恋の味もいつか覚えた。あるデザイアに促されて、人知れず汚ない業をすることもあった。世間は自分の前におもしろい楽しい舞台をひろげていると思うこともあれば、汚ない
醜い近づくべからざる現象を示していると思うこともある。自己の
満しがたい欲望と美しい花のような世界といかになり行くかを知らぬ自己の将来とを考える時は、いつも暗いわびしいたえがたい心になった。
熊谷にいる友人の恋の話から Art の君の話が出る。
「僕は苦しくってしかたがない」
「どうかする方法がありそうなもんだねえ」
二人はこんなことを言った。
「昨日公園で会ったんさ。ちょっと浦和から帰って来たんだッて、先生、いたずらに肥えてるッていう形だッた」
郁治はこう言って笑った。
「いたずらに肥えてるはいいねえ」
清三も笑った。
「君のシスタアが友だちだし、先生のエルダアブラザアもいるんだし、どうにか方法がありそうなもんだねえ」
「まア、放っておいてくれ、考えると苦しくなる」
胸にひそかに恋を包める青年の苦しさというような顔を郁治はして見せた。前にみずからも言ったように、郁治は好男子ではなかった。男らしいきっぱりとしたところはあるが、体格の大きい、肩の怒った、眼の鋭い、頬骨の出たところなど、女に
好かれるような点はなかった。
若い者の苦しむような
煩悶はかれの胸にもあった。清三にくらべては、境遇もよかった。家庭もよかった。高等師範にはいれぬまでも、東京に行って一二年は修業するほどの学費は出してやる気が父親にもある。それに体格がいいだけに、思想も健全で、清三のようにセンチメンタルのところはない。清三が今度の
弥勒行きを、このうえもない絶望のように――
田舎に
埋れて出られなくなる第一歩であるかのように言ったのを、「だッて、そんなことはありゃしないよ、君、人間は境遇に支配されるということは、それはいくらかはあるには違いないが、どんな境遇からでも出ようと思えば、出て来られる」と言ったのでも、郁治の性格の一部はわかる。
その時、清三は、
「君はそういうけれど、それは境遇の束縛の恐ろしいことを君が知らないからだよ、つまり君の家庭の幸福から出た言葉だよ」
「そんなことはないよ」
「いや、僕はそう思うねえ、僕はこれっきり
埋れてしまうような気がしてならないよ」
「僕はまた、かりに一歩
譲って、人間がそういう種類の動物であると仮定しても、そういう消極的な考えには服従していられないねえ」
「じゃ、どんな境遇からでも、その人の考え一つで抜け出ることができるというんだねえ」
「そうさ」
「つまりそうすると、人間万能論だね、どんなことでもできないことはないという議論だね」
「君はじきそう極端に言うけれど、それはそこに取り
除けもあるがね」
その時いつもの単純な理想論が出る。積極的な考えと消極的な考えとがごたごたと混合して要領を得ずにおしまいになった。
かれらの群れは学校にいるころから、文学上の議論や人生上の議論などをよくした。新派の和歌や俳句や抒情文などを作って、互いに見せ合ったこともある。一人が
仙骨という号をつけると、みな骨という字を用いた号をつけようじゃないかという動議が出て、
破骨だの、
洒骨だの、
露骨だの、
天骨だの、
古骨だのというおもしろい号ができて、しばらくの間は手紙をやるにも、話をするにも、みんなその骨の字の号を使った。古骨というのは、やはり郁治や清三と同じく三里の道を朝早く熊谷に
通った
連中の一人だが、そのほんとうの号は
機山といって、町でも
屈指の
青縞商の息子で、
平生は
角帯などをしめて、つねに色の白い顔に
銀縁の近眼鏡をかけていた。
田舎の青年に多く見るような非常に熱心な文学
好きで、雑誌という雑誌はたいてい取って、初めはいろいろな投書をして、自分の号の活字になるのを喜んでいたが、近ごろではもう投書でもあるまいという気になって、毎月の雑誌に出る小説や詩や歌の批評を縦横にそのなかまにして聞かせるようになった。それに、投書家
交際をすることが好きで、地方文壇の小さな雑誌の主筆とつねに手紙の往復をするので、地方文壇
消息には、
武州行田には石川
機山ありなどとよく書かれてあった。時の文壇に名のある作家も二三人は知っていた。
やはり骨の字の号をつけた一人で――これは文学などはあまりわかるほうではなく、同じなかまにおつき合いにつけてもらった組であるが、かれの兄が行田町に一つしかない印刷業をやっていて、その前を通ると、硝子戸の入り口に、行田印刷所と書いたインキに汚れた大きい
招牌がかかっていて、旧式な手刷りが一台、例の大きな
ハネを
巻き
返し繰り返し動いているのが見える。広告の
引き札や名刺が
主で、時には郡役所警察署の簡単な報告などを頼まれて
刷ることもあるが、それはきわめてまれであった、棚に並べたケースの活字も少なかった。文選も植字も印刷も
主がみな一人でやった。日曜日などにはその弟が汚れた
筒袖を着て、手刷り台の前に立って、
刷れた紙を
翻しているのをつねに見かけた。
金持ちの
息子と見て、その小遣いを見込んで、それでそそのかしたというわけでもあるまいが、この四月の月の初めに、機山がこの印刷所に遊びに来て、長い間その主人兄弟と話して行ったが、帰る時、「それじゃ毎月七八円ずつ損するつもりなら大丈夫だねえ、原稿料は出さなくったって
書き手はたくさんあるし、それに二三十部は売れるアね」と言った顔は、新しい計画に対する喜びに輝いていた。「行田文学」という小雑誌を起こすことについての相談がその連中の間に持ち上がったのはこれからである。
機山がその相談の席で、
「それから、
羽生の
成願寺に山形古城がいるアねえ。あの人はあれでなかなか文壇には聞こえている名家で、新体詩じゃ有名な人だから、まず第一にあの人に賛成員になってもらうんだね。あの人から頼んでもらえば、
原香花の原稿ももらえるよ」
「あの古城ッていう人はここの士族だッていうじゃないか」
「そうだッて……。だから、賛成員にするのはわけはないさ」
ちょうど清三が
弥勒に出るようになった時なので、かれがまずその寺を訪問する責任を仲間から負わせられた。
その夜、「行田文学」の話が出ると、郁治が、
「寄ってみたかね?」
「あいにく、雨に会っちゃッたものだから」
「そうだったね」
「今度行ったら一つ寄ってみよう」
「そういえば、今日
荻生君が羽生に行ったが会わなかったかねえ」
「荻生君が?」と清三は珍しがる。
荻生君というのは、やはりその仲間で、熊谷の郵便局に出ている同じ町の料理店の
子息さんである。今度羽生局に勤めることになって、今車で行くというところを郁治は町の
角で会った。
「これからずッと長く勤めているのかしら」
「むろんそうだろう。羽生の局をやっているのは荻生君の親類だから」
「それはいいな」
「君の話相手ができて、いいと僕も思ったよ」
「でも、そんなに親しくはないけれど……」
「じき親しくなるよ、ああいうやさしい人だもの……」
そこにしげ子が「昼間こしらえたのですから、まずくなりましたけれど……」とお
萩餅を運んで、茶をさして来た。そのまま兄のそばにすわって、無邪気な
口ぶりで二
言三
言話していたが、今度は姉の雪子が
丈の高い姿をそこにあらわして、「兄さん、石川さんが」という。
やがて石川がはいって来た。
座に清三がいるのを見て、
「君のところに今寄って来たよ」
「そうか」
「こっちに来たッてマザアが言ったから」こう言って石川はすわって、「先生がうまくつとまりましたかね?」
清三は笑っている。
郁治は、「まだできるかできないか、やってみないんだとさ」
とそばから言う。
雪子もしげ子も石川の顔を見ると、
挨拶してすぐ引っ込んで行ってしまった。郁治と清三と話している間は、話に気がおけないので、よく長くそばにすわっているが、他人が
交るとすましてしまうのがつねである。それほど清三と郁治とは
交情がよかった。それほど清三とこの家庭とは親しかった。郁治と清三との話しぶりも石川が来るとまるで変わった。
「いよいよ来月の十五日から一号を出そうと思うんだがね」
「もうすっかり
決まったかえ」
「東京からも大家では
麗水と
天随とが書いてくれるはずだ……。それに地方からもだいぶ原稿が来るからだいじょうぶだろうと思うよ」
こう言って、地方の小雑誌やら東京の文学雑誌やらを五六種出したが、岡山地方で発行する菊版二十四
頁の「小文学」というのをとくに抜き出して、
「たいていこういうふうにしようと思うんだ。沢田(印刷所)にも相談してみたが、それがいいだろうと言うんだけれど、どうも中の
体裁はあまり感心しないから、組み方なんかは別にしようと思うんだがね」
「そうねえ、中はあまりきれいじゃないねえ」と二人は「小文学」を見ている。
「これはどうだろう」
と二段十八行二十四字詰めのを石川は見せた。
「そうねえ」
三人は数種の雑誌をひるがえしてみた。郁治の持っている雑誌もそこに参考に出した。
洋燈は
額を集めた三人の青年とそこに乱雑に散らかった雑誌とをくっきり照らした。
やがてその中の一つにあらかた
定まる。
石川の持って来た雑誌の中に、「明星」の四月号があった。清三はそれを手に取って、初めは藤島武二や中沢弘光の木版画のあざやかなのを見ていたが、やがて、
晶子の歌に熱心に見入った。新しい「明星派」の傾向が清三のかわいた胸にはさながら泉のように感じられた。
石川はそれを見て笑って、
「もう見てる。違ったもんだね、
崇拝者は!」
「だって実際いいんだもの」
「何がいいんだか、国語は
支離滅裂、思想は新しいかもしれないが、わけのわからない文句ばかり集めて、それで歌になってるつもりなんだから、明星派の人たちには閉口するよ」
いつかもやった明星派
是非論、それを三人はまたくり返して論じた。
七
夜はもう十二時を過ぎた。
雨滴れの音はまだしている。時々ザッと降って行く
気勢も聞き取られる。
城址の沼のあたりで、むぐりの鳴く声が寂しく聞こえた。
一室には三つ床が敷いてあった。小さい
丸髷とはげた頭とが床を並べてそこに寝ていた。母親はつい先ほどまで眼を覚ましていて、「明日眠いから早くおやすみよ」といく度となく言った。
「ランプを
枕元につけておいて、つい
寝込んでしまうと危いから」とも忠告した。その母親も寝てしまって、父親の
鼾に交って、かすかな
呼吸がスウスウ聞こえる。さらぬだに紙の
笠が古いのに、先ほど
心が出過ぎたのを知らずにいたので、ホヤが半分ほど黒くなって、光線がいやに赤く暗い。清三は借りて来た「明星」をほとんどわれを忘れるほど熱心に
読み
耽った。
椿それも梅もさなりき白かりきわが罪問はぬ色桃に見る
わが罪問はぬ色桃に見る、桃に見る、あの赤い桃に見ると歌った心がしみじみと胸にしみた。不思議なようでもあるし、不自然のようにも考えられた。またこの不思議な不自然なところに新しい泉がこんこんとしてわいているようにも思われた。
色桃に見ると四の句と五の句を分けたところに言うに言われぬ匂いがあるようにも思われた。かれは一首ごとに一
頁ごとに本を伏せて、わいて来る思いを味わうべく余儀なくされた。この瞬間には昨夜役場に寝たわびしさも、
弥勒から
羽生まで雨にそぼぬれて来た
辛さもまったく忘れていた。ふと石川と今夜議論をしたことを思い出した。あんな
粗い感情で文学などをやる気が知れぬと思った。それに引きかえて、自分の感情のかくあざやかに新しい思潮に触れ得るのをわれとみずから感謝した。渋谷の
淋しい奥に住んでいる詩人夫妻の
佗び
住居のことなどをも想像してみた。なんだか悲しいようにもあれば、うらやましいようにもある。かれは歌を読むのをやめて、
体裁から、組み方から、表紙の絵から、すべて新しい匂いに満たされたその雑誌にあこがれ渡った。
時計が二時を打っても、かれはまだ床の中に眼を大きくあいていた。
鼠の天井を渡る音が騒がしく聞こえた。
雨は降ったりはれたりしていた。人の心を他界に誘うようにザッとさびしく降って通るかと思うと、びしょびしょと
雨滴れの音が軒の
樋をつたって落ちた。
いつまであこがれていたッてしかたがない。「もう寝よう」と思って、起き上がって、暗い
洋燈を手にして、父母の寝ている夜着のすそのところを通って、
厠に行った。手を洗おうとして雨戸を一枚あけると、縁側に置いた
洋燈がくっきりと闇を照らして、ぬれた南天の葉に雨の降りかかるのが光って見えた。
障子を
閉てる音に母親が眼を覚まして、
「清三かえ?」
「ああ」
「まだ寝ずにいるのかえ」
「今、寝るところなんだ」
「早くお寝よ……明日が眠いよ」と言って、寝返りをして、
「もう何時だえ」
「二時が今鳴った」
「二時……もう夜が明けてしまうじゃないか、お寝よ」
「ああ」
で、
蒲団の中にはいって、
洋燈をフッと吹き消した。
八
翌日、午後一時ごろ、
白縞の
袴を
着けて、借りて来た
足駄を下げた清三と、なかばはげた、
新紬の古ぼけた縞の羽織を着た父親とは、行田の町はずれをつれ立って歩いて行った。雨あがりの空はやや
曇って、時々思い出したように薄い日影がさした。町と村との境をかぎった川には、
葦や
藺や
白楊がもう青々と芽を出していたが、
家鴨が五六羽ギャアギャア鳴いて、番傘と
蛇の
目傘とがその岸に並べて干されてあった。町に買い物に来た近所の百姓は腰をかけてしきりに
饂飩を食っていた。
並んで歩く親子の後ろ姿は、低い
庇や
地焼の
瓦でふいた家根や、
襁褓を干しつらねた軒や石屋の工作場や、
鍛冶屋や、娘の青縞を織っている家や、子供の集まっている駄菓子屋などの両側に連なった間を静かに動いて行った。と、向こうから頭に番台を載せて、上に小旗を無数にヒラヒラさしたあめ屋が太鼓をおもしろくたたきながらやって来る。
父親は近在の
新郷というところの豪家に二三日前書画の
幅を五六品預けて置いて来た。今日行っていくらかにして来なければならないと思って、午後から
弥勒に行く清三といっしょに出かけて来たのである。
ここまで来る間に、父親は町の懇意な人に二人会った。一人は気のおけないなかまの者で、「どこへ行くけえ? そうけえ、新郷へ行くけえ、あそこはどうもな、
吝嗇な人間ばかりで、ねっかららちがあかんな」と言って声高くその中年の男は笑った。一人は町の豪家の書画道楽の主人で、それが向こうから来ると、父親はていねいに
挨拶をして立ちどまった。「この間のは、どうも悪いようだねえ、どうもあやしい」と向こうから言うと、「いや、そんなことはございません。出所がしっかりしていますから、折り紙つきですから」と父親はしきりに弁解した。清三は五六間先からふり返って見ると、父親がしきりに腰を低くして、頭を下げている。そのはげた額を、薄い日影がテラテラ照らした。
加須に行く街道と
館林に行く街道とが町のはずれで二つにわかれる。それから向こうはひろびろした野になっている。野のところどころにはこんもりとした森があって、その間に
白堊の土蔵などが見えている。まだ
犁を入れぬ田には、げんげが赤い
毛氈を敷いたようにきれいに咲いた。商家の若旦那らしい男が平坦な街道に
滑らかに自転車をきしらして来た。
路は野から村にはいったり村から野に出たりした。
樫の高い
生垣で家を囲んだ豪家もあれば、
青苔が汚なく
生えた
溝を前にした荒壁の崩れかけた家もあった。鶏の声がところどころにのどかに聞こえる。街道におろし菓子屋が荷を
下していると、髪をぼうぼうさせた村の駄菓子屋のかみさんが、帯もしめずに出て来て、豆菓子や鉄砲玉をあれのこれのと言って入用だけ置かせている。
新郷へのわかれ路が近くなったころ、親子はこういう話をした。
「今度はいつ来るな、お前」
「この次の土曜日には帰る」
「それまでに少しはどうかならんか」
「どうだかわからんけれど、月末だから少しはくれるだろうと思うがね」
「少しでも手伝ってもらうと助かるがな」
清三は返事をしなかった。
やがて別れるところに来た。新郷へはこれから
一田圃越せば行ける。
「それじゃ気をつけてな」
「ああ」
そこには
庚申塚が立っていた。
禿頭の父親が
猫背になって歩いて行くのと、茶色の帽子に
白縞の
袴をつけた清三の姿とは、長い間野の道に見えていた。