三十
盆踊りがにぎやかであった。空は晴れて水のような月夜が幾夜か続いた。樽拍子が唄につれて手にとるように聞こえる。そのにぎやかな気勢をさびしい宿直室で一人じっとして聞いてはいられなかった。清三は誘われてすぐ出かけた。
盆踊りのあるところは村のまん中の広場であった。人が遠近からぞろぞろと集まって来る。樽拍子の音がそろうと、白い手拭いをかむった男と女とが手をつないで輪をつくって調子よく踊り始める。上手な音頭取りにつれて、誰も彼も熱心に踊った。
九時過ぎからは、人がますます多く集まった。踊りつかれると、あとからもあとからも新しい踊り手が加わって来る。輪はだんだん大きくなる。樽拍子はますますさえて来る。もうよほど高くなった月は向こうのひろびろした田から一面に広場を照らして、木の影の黒く地に印した間に、踊り子の踊って行くさまがちらちらと動いて行く。
村にはぞろぞろと人が通った。万葉集のかがいの庭のことがそれとなく清三の胸を通った。男はみな一人ずつ相手をつれて歩いている。猥褻なことを平気で話している。世の覊絆を忘れて、この一夜を自由に遊ぶという心持ちがあたりにみちわたった。垣の中からは燈光がさして笑い声がした。向こうから女づれが三四人来たと思うと、突然清三は袖をとらえられた。
「学校の先生!」
「林さん!」
「いい男!」
「林先生!」
嵐のように声を浴びせかけられたと思ったのも瞬間であった。両手を取られたり後ろから押されたり組んだ白い手の中にかかえ込まれたりして、争おうとする間に二三間たじたじとつれて行かれた。
「何をするんだ、ばか!」
と言ったがだめだった。
月は互いに争うこの一群をあきらかに照らした。女のキャッキャッと騒ぐ声があたりにひびいて聞こえた。
「ヤア、学校の先生があまっちょにいじめられている!」と言って笑って通って行くものもあった。樽拍子の音が唄につれて、ますます景気づいて来た。
三十一
秋季皇霊祭の翌日は日曜で、休暇が二日続いた。大祭の日は朝から天気がよかった。清三はその日大越の老訓導の家に遊びに行って、ビールのご馳走になった。帰途についたのはもう四時を過ぎておった。
古い汚ない廂の低い弥勒ともいくらも違わぬような町並みの前には、羽生通いの乗合馬車が夕日を帯びて今着いたばかりの客をおろしていた。ラムネを並べた汚ない休み茶屋の隣には馬具や鋤などを売る古い大きな家があった。野に出ると赤蜻蛉が群れをなして飛んでいた。
利根川の土手はここからもうすぐである。二三町ぐらいしか離れていない。清三はふとあることを思いついて、細い道を右に折れて、土手のほうに向かった。明日は日曜である。行田に行く用事がないでもないが、行かなくってはならないというほどのこともない。老訓導にも校長にも今日と明日は留守になるということを言っておいた。懐には昨日おりたばかりの半月の月給がはいっている。いい機会だ! と思った心は、ある新しい希望に向かってそぞろにふるえた。
土手にのぼると、利根川は美しく夕日にはえていた。その心がある希望のために動いているためであろう。なんだかその波の閃めきも色の調子も空気のこい影もすべて自分のおどりがちな心としっくり相合っているように感じられた。なかばはらんだ帆が夕日を受けてゆるやかにゆるやかに下って行くと、ようようとした大河の趣をなした川の上には初秋でなければ見られぬような白い大きな雲が浮かんで、川向こうの人家や白壁の土蔵や森や土手がこい空気の中に浮くように見える。土手の草むらの中にはキリギリスが鳴いていた。
土手にはところどころ松原があったり渡船小屋があったり楢林があったり藁葺の百姓家が見えたりした。渡し船にはここらによく見る機回りの車が二台、自転車が一個、蝙蝠傘が二個、商人らしい四十ぐらいの男はまぶしそうに夕日に手をかざしていた。船の通る少し下流に一ところ浅瀬があって、キラキラと美しくきらめきわたった。
路は長かった。川の上にむらがる雲の姿の変わるたびに、水脈のゆるやかに曲がるたびに、川の感じがつねに変わった。夕日はしだいに低く、水の色はだんだん納戸色になり、空気は身にしみわたるようにこい深い影を帯びてきた。清三は自己の影の長く草の上にひくのを見ながら時々みずからかえりみたり、みずからののしったりした。立ちどまって堕落した心の状態を叱してもみた。行田の家のこと、東京の友のことを考えた。そうかと思うと、懐から汗によごれた財布を出して、半月分の月給がはいっているのを確かめてにっこりした。二円あればたくさんだということはかねてから小耳にはさんで聞いている。青陽楼というのが中田では一番大きな家だ。そこにはきれいな女がいるということも知っていた。足をとどめさせる力も大きかったが、それよりも足を進めさせる力のほうがいっそう強かった。心と心とが戦い、情と意とが争い、理想と欲望とがからみ合う間にも、体はある大きな力に引きずられるように先へ先へと進んだ。
渡良瀬川の利根川に合するあたりは、ひろびろとしてまことに阪東太郎の名にそむかぬほど大河のおもむきをなしていた。夕日はもうまったく沈んで、対岸の土手にかすかにその余光が残っているばかり、先ほどの雲の名残りと見えるちぎれ雲は縁を赤く染めてその上におぼつかなく浮いていた。白帆がものうそうに深い碧の上を滑って行く。
透綾の羽織に白地の絣を着て、安い麦稈の帽子をかぶった清三の姿は、キリギリスが鳴いたり鈴虫がいい声をたてたり阜斯が飛び立ったりする土手の草路を急いで歩いて行った。人通りのない夕暮れ近い空気に、広いようようとした大河を前景にして、そのやせぎすな姿は浮き出すように見える。土手と川との間のいつも水をかぶる平地には小豆や豆やもろこしが豊かに繁った。ふとある一種の響きが川にとどろきわたって聞こえたと思うと、前の長い長い栗橋の鉄橋を汽車が白い煙を立てて通って行くのが見えた。
土手を下りて旗井という村落にはいったころには、もうとっぷりと日が暮れて、灯がついていた。ある百姓家では、垣のところに行水盥を持ち出して、「今日は久しぶりでまた夏になったような気がした」などと言いながら若いかみさんが肥えた白い乳を夕闇の中に見せてボチャボチャやっていた。鉄道の踏切を通る時、番人が白い旗を出していたが、それを通ってしまうと、上り汽車がゴーと音を立てて過ぎて行った。かれは二三度路で中田への渡し場のありかをたずねた[#「たずねた」は底本では「はずねた」]。夜が来てからかれは大胆になった。もう後悔の念などはなくなってしまった。ふと路傍に汚ない飲食店があるのを発見して、ビールを一本傾けて、饂飩の盛りを三杯食った。ここではかみさんがわざわざ通りに出て渡船場に行く路を教えてくれた。
十日ばかりの月が向こう岸の森の上に出て、渡船場の船縁にキラキラと美しく砕けていた。肌に冷やかな風がおりおり吹いて通って、やわらかな櫓の音がギーギー聞こえる。岸に並べた二階家の屋根がくっきりと黒く月の光の中に出ている。
水を越して響いて来る絃歌の音が清三の胸をそぞろに波だたせた。
乗り合いの人の顔はみな月に白く見えた。船頭はくわえ煙管の火をぽっつり紅く見せながら、小腰に櫓を押した。
十分のちには、清三の姿は張り見世にごてごてと白粉をつけて、赤いものずくめの衣服で飾りたてた女の格子の前に立っていた。こちらの軒からあちらの軒に歩いて行った。細い格子の中にはいって、あやうく羽織の袖を破られようとした。こうして夜ごとに客を迎うる不幸福な女に引きくらべて、こうして心の餓え、肉の渇きをいやしに来た自分のあさましさを思って肩をそびやかした。廓の通りをぞろぞろとひやかしの人々が通る。なじみ客を見かけて、「ちょいと貴郎!」なぞという声がする。格子に寄り合うて何かなんなんと話しているものもある。威勢よくはいってトントン階段を上がって行くものもある。二階からは三絃や鼓の音がにぎやかに聞こえた。
五六軒しかない貸座敷はやがてつきた。一番最後の少し奥に引っ込んだ石菖の鉢の格子のそばに置いてある家には、いかにも土百姓の娘らしい丸く肥った女が白粉をごてごてと不器用にぬりつけて二三人並んでいた。その家から五六軒藁葺の庇の低い人家が続いて、やがて暗い畠になる。清三はそこまで行って引き返した。見て通ったいろいろな女が眼に浮かんで、上がるならあの女かあの女だと思う。けれど一方ではどうしても上がられるような気がしない。初心なかれにはいくたび決心しても、いくたび自分の臆病なのをののしってみてもどうも思いきって上がられない。で、今度は通りのまん中を自分はひやかしに来た客ではないというようにわざと大跨に歩いて通った。そのくせ、気にいった女のいる張り見世の前は注意した。
河岸の渡し場のところに来て、かれはしばらく立っていた。月が美しく埠頭にくだけて、今着いた船からぞろぞろと人が上がった。いっそ渡しを渡って帰ろうかとも思ってみた。けれどこのまま帰るのは――目的をはたさずに帰るのは腑甲斐ないようにも思われる。せっかくあの長い暑い二里の土手を歩いて来て、無意味に帰って行くのもばかばかしい。それにただ帰るのも惜しいような気がする。渡し船の行って帰って来る間、かれはそこに立ったりしゃがんだりしていた。
思いきって立ち上がった。その家には店に妓夫が二人出ていた。大きい洋燈がまぶしくかれの姿を照らした。張り見世の女郎の眼がみんなこっちに注がれた。内から迎える声も何もかもかれには夢中であった。やがてがらんとした室に通されて、「お名ざし」を聞かれる。右から二番目とかろうじてかれは言った。
右から二番目の女は静枝と呼ばれた。どちらかといえば小づくりで、色の白い、髪の房々した、この家でも売れる女であった。眉と眉との遠いのが、どことなく美穂子をしのばせるようなところがある。
清三にはこうした社会のすべてがみな新らしくめずらしく見えた。引き付けということもおもしろいし、女がずっとはいって来て客のすぐ隣にすわるということも不思議だし、台の物とかいって大きな皿に少しばかり鮨を入れて持って来るのも異様に感じられた。かれは自分の初心なことを女に見破られまいとして、心にもない洒落を言ったり、こうしたところには通人だというふうを見せたりしたが、二階回しの中年の女には、初心な人ということがすぐ知られた。かれはただ酒を飲んだ。
厠は階段を下りたところにあった。やはり石菖の鉢が置いてあったり、釣り荵が掛けてあったりした。硝子の箱の中に五分心の洋燈が明るくついて、鼻緒の赤い草履がぬれているのではないがなんとなくしめっていた。便所には大きなりっぱな青い模様の出た瀬戸焼きの便器が据えてある。アルボースの臭に交って臭い臭気が鼻と目とをうった。
女の室は六畳で、裏二階の奥にある。古い箪笥が置いてあった。長火鉢の落としはブリキで、近在でできたやすい鉄瓶がかかっている。そばに一冊女学世界が置いてあるのを清三が手に取って見ると、去年の六月に発行したものであった。「こんなものを読むのかえ、感心だねえ」と言うと、女はにッと笑ってみせた。その笑顔を美しいと清三は思った。室の裏は物干しになっていて、そこには月がやや傾きかげんとなってさしていた。隣では太鼓と三絃の音がにぎやかに聞こえた。
三十二
翌日は昼過ぎまでいた。出る時、女が送って出て、「ぜひ近いうちにね、きっとですよ」と私語くように言った。昨夜、床の中で聞いた不幸な女の話が流るるように胸にみなぎった。
渡しをわたって栗橋に出て昨日の路を帰るのはなんだか不安なような気がした。土手で知ってる人に会わんものでもない。行田に行ったというものが方角違いの方面を歩いていては人に怪しまれる。で、かれは昨夜聞いておいた鳥喰のほうの路を選んで歩き出した。初会にも似合わず、女はしんみりとした調子で、その父母の古河の少し手前の在にいることを打ち明けて語った。その在郷に行くにはやはり鳥喰を通って行くのだそうだ。鳥喰の河岸には上州の本郷に渡る渡良瀬川のわたし場があって、それから大高島まで二里、栗橋に出て行くよりもかえって近いかもしれなかった。清三の麦稈帽子は毎年出水につかる木影のない低地の間の葉のなかば赤くなった桑畑に見え隠れして動いて行った。行く先には田があったり畠があったりした。川原の草藪の中にはやはりキリギリスが鳴いた。
河岸の渡し場では赤い雲が静かに川にうつっていた。向こう岸の土手では糸経を着て紺の脚絆を白い埃にまみらせた旅商人らしい男が大きな荷物をしょって、さもさも疲れたようなふうをして歩いて行った。そこからは利根渡良瀬の二つの大きな河が合流するさまが手に取るように見える。栗橋の鉄橋の向こうに中田の遊郭の屋根もそれと見える。かれはしばし立ちどまって、別れて来た女のことを思った。
本郷の村落を通って、路はまた土手の上にのぼった。昨日向こう岸から見て下った川を今日はこの岸からさかのぼって行くのである。昨日の心地と今日の心地とを清三はくらべて考えずにはいられなかった。おどりがちなさえた心と落ちついたつかれた心! わずかに一日、川は同じ色に同じ姿に流れているが、その間には今まで経験しない深い溝が築かれたように思われる。もう自分は堕落したというような悔いもあった。
麦倉河岸には涼しそうな茶店があった。大きな栃の木が陰をつくって、冷めたそうな水にラムネがつけてあった。かれはラムネに梨子を二個ほど手ずから皮をむいて食って、さて花茣蓙の敷いてある木の陰の縁台を借りてあおむけに寝た。昨夜ほとんど眠られなかった疲労が出て、頭がぐらぐらした。涼しい心地のいい風が川から来て、青い空が葉の間からチラチラ見える。それを見ながらかれはいつか寝入った。
かれが寝ている間、渡し場にはいろいろなことがあった。鶏のひよっ子を猫がねらって飛びつこうとするところを茶店の婆さんはあわてておうと、猫が桑畑の中に入ってニャアニャア鳴いた。渡し舟は着くたびにいろいろな人を下ろしてはまたいろいろな人を載せて行った。自転車を走らせて来た町の旦那衆もあれば、反物を満載した車をひいて来た人足もある。上流の赤岩に煉瓦を積んで行く船が二艘も三艘も竿を弓のように張って流れにさかのぼって行くと、そのかたわらを帆を張った舟がギーと楫の音をさせて、いくつも通った。一時間ほどたって婆さんが裏に塵埃を捨てに行った時には、縁台の上の客は足をだらりと地に下げて、顔を仰向けに口を少しあいて、心地よさそうに寝ていたが、魚釣りに行った村の若者が笭箵を下げて帰る時には、足を二本とも縁台の上に曲げて、肱を枕にして高い鼾をかいていた。その横顔を夕日が暑そうに照らした。額には汗がにじみ、はだけた胸からは財布が見えた。
かれが眼をさましたころは、もう五時を過ぎていた。水の色もやや夕暮れ近い影を帯びていた。清三は銀側の時計を出して見て、思いのほか長く寝込んだのにびっくりしたが、落ちかけていた財布をふと開けてみて銭の勘定をした。六円あった金が二円五十銭になっている。かれはちょっと考えるようなふうをしたが、その中から二十銭銀貨を一つ出して、ラムネ二本の代七銭と、梨子二個の代三銭との釣り銭を婆さんからもらって、白銅を一つ茶代に置いた。
大高島の渡しを渡るころには、もう日がよほど低かった。かれは大越の本道には出ずに、田の中の細い道をあちらにたどりこちらにたどりして、なるたけ人目にかからぬようにして弥勒の学校に帰って来た。
かれの顔を見ると、小使が、
「荻生さんなア来さしゃったが、会ったんべいか」
「いや――」
「行田に行ったんなら、ぜひ羽生に寄るはずだがッて言って、不思議がっていさっしゃったが、帰りにも会わなかったかな」
「会わない――」
「待っていさッしゃったが、羽生で待ってるかもしんねえッて三時ごろ帰って行かしった……」
「そうか――羽生には寄らなかったもんだから」
こう言ってかれは羽織をぬいだ。
三十三
次の土曜日にも出かけた。その日も荻生さんはたずねて来たがやっぱり不在だった。行田の母親からも用事があるから来いとたびたび言って来る。けれど顔を見せぬので、父親は加須まで来たついでにわざわざ寄ってみた。べつだん変わったところもなかった。このごろは日課点の調べで忙しいと言った。先月は少し書籍を買ったものだから送るものを送られなかったという申しわけをして、机の上にある書籍を出して父親に見せた。父親はさる出入り先から売却を頼まれたという文晃筆の山水を長押にかけて、「どうも少し怪しいところがあるんじゃが……まアまアこのくらいならとにかく納まる品物だから」などとのんきに眺めていた。母親の手紙では、家計が非常に困っているような様子であったが、父親にはそんなふうも見えなかった。帰りに、五十銭貸せと言ったが、清三の財布には六十銭しかなかった。月末まで湯銭くらいなくては困ると言うので、二十銭だけ残して、あとをすっかり持たせてやった。父親は包みを背負って、なかばはげた頭を夕日に照らされながら、学校の門を出て行った。
金のない幾日間の生活は辛かったが、しかし心はさびしくなかった。朝に晩に夜にかれはその女の赤い襠裲姿と、眉の間の遠い色白の顔とを思い出した。そのたびごとにやさしい言葉やら表情やらが流るるようにみなぎりわたった。その女は初会から清三の人並みすぐれた男ぶりとやさしいおとなしい様子とになみなみならぬ情を見せたのであるが、それが一度行き二度行くうちにだんだんとつのって来た。
清三は月末の来るのを待ちかねた。菓子を満足に食えぬのが中でも一番辛かった。机の抽斗しの中には、餅菓子とかビスケットとか羊羹とかいつもきっと入れられてあったが、このごろではただその名残りの赤い青い粉ばかりが残っていた。やむなくかれは南京豆を一銭二銭と買ってくったり、近所の同僚のところを訪問して菓子のご馳走になったりした。のちには菓子屋の婆を説きつけて、月末払いにして借りて来た。
音楽はやはり熱心にやっていた。譜を集めたものがだいぶたまった。授業中唱歌の課目がかれにとって一番おもしろい楽しい時間で、新しい歌に譜を合わせたものを生徒に歌わせて、自分はさもひとかどの音楽家であるかのようにオルガンの前に立って拍子を取った。一人で室にいる時も口癖に唱歌の譜が出た。この間、女の室で酒に酔って、「響りんりん」を歌ったことが思い出された。女は黙ってしみじみと聞いていた。やがて「琵琶歌ですか、それは」と言った。信濃の詩人が若々しい悲哀を歌った詩は、青年の群れの集まった席で歌われたり、さびしい一人の散歩の野に歌われたり、無邪気な子供らの前でオルガンに合わせて歌われたり、そうした女のいる狭い一室で歌われたりした。清三はその時女にその詩の意味を解いて聞かせて、ふたたび声を低くして誦した。二人の間にそれがあるかすかなしかし力ある愛情を起こす動機となったことを清三は思い起こした。
弥勒野にふたたび秋が来た。前の竹藪を通して淋しい日影がさした。教員室の硝子窓を小使が終日かかって掃除すると、いっそう空気が新しくこまやかになったような気がした。刈り稲を積んだ車が晴れた野の道に音を立てて通った。
東京に行った友だちからは、それでも月に五六たび音信があった。学窓から故山の秋を慕った歌なども来た。夕暮れには、赤い夕焼けの雲を望んで、弥勒の野に静かに幼な児を伴侶としているさびしき、友の心を思うと書いてあった。弥勒野から都を望む心はいっそう切であった。学窓から見た夕焼けの雲と町に連なるあきらかな夜の灯がいっそう恋しいとかれは返事をしてやった。
羽生の野や、行田への街道や、熊谷の町の新蕎麦に昨年の秋を送ったかれは、今年は弥勒野から利根川の河岸の路に秋のしずかさを味わった。羽生の寺の本堂の裏から見た秩父連山や、浅間嶽の噴煙や赤城榛名の翠色にはまったく遠ざかって、利根川の土手の上から見える日光を盟主とした両毛の連山に夕日の当たるさまを見て暮らした。
ある日、荻生さんが来た。明日が土曜日であった。
「君、少し金を持っていないだろうか」
荻生さんは三円ばかり持っていた。
「気の毒だけども、家のほうに少しいることがあって、翌日行くのにぜひ持って行かなけりゃならないんだが……月給はまだ当分おりまいし、困ってるんだが、どうだろう、少しつごうしてもらうわけにはいかないだろうか。月給がおりると、すぐ返すけれど」
荻生さんはちょっと困ったが、
「いくらいるんです?」
「三円ばかり」
「僕はちょうどここに三円しか持っていないんですが、少しいることもあるんだが……」
「それじゃ二円でもいい」
荻生さんはやむを得ず一円五十銭だけ貸した。
翌朝、それと同じ調子で、清三は老訓導に一円五十銭貸してくれと言った。老訓導は「僕もこの通り」と、笑って銅貨ばかりの財布を振って見せた。関さんもやっぱり持っていなかった。いく度か躊躇したが、思い切って最後に校長に話した。校長は貸してくれた。昨日の朝、行田から送って来る新聞の中に交って、見なれぬ男の筆跡で、中田の消印のおしてある一通の封書のはいっていたのを誰も知らなかった。
午後から行田の家に行くとて出かけたかれは、今泉にはいる前の路から右に折れて、森から田圃の中を歩いて行った。しばらくして利根川の土手にあがる松原の中にその古い中折の帽子が見えた。大高島に渡る渡船の中にかれはいた。
三十四
渡良瀬川の渡しをかれはすくなくとも月に二回は渡った。秋はしだいにたけて、楢の林の葉はバラバラと散った。虫の鳴いた蘆原も枯れて、白の薄の穂が銀のように日影に光る。洲のあらわれた河原には白い鷺がおりて、納戸色になった水には寒い風が吹きわたった。
麦倉の婆の茶店にももう縁台は出ておらなかった。栃の黄ばんだ葉は小屋の屋根を埋めるばかりに散り積もった。農家の庭に忙しかった唐箕の音の絶えるころには、土手を渡る風はもう寒かった。
その長い路を歩く度数は、女に対する愛情の複雑してくる度数であった。追憶がだんだんと多くなってきた、帰りを雨に降られて本郷の村落のとっつきの百姓家にその晴れ間を待ったこともある。夜遅く栗橋に出て大越の土手を終夜歩いて帰って来たこともある。女の心の解しがたいのに懊悩したことも一度や二度ではなかった。遊廓にあがるものの初めて感ずる嫉妬、女が回しを取る時の不愉快にもやがてでっくわした。待っても待っても、女はやって来ない。自己の愛する女を他人が自由にしている。全身を自己に捧げていると女は称しながら、それがはたしてそうであるか否かのわからない疑惑――男が女に対するすべての疑惑をだんだん意識してきた。女はまた女で、その男の疑惑につれて、時々容易に示さない深い情を見せて、男の心をたくみに奪った。「もうこれっきり行かん。あれらは男の機嫌をとるのを商売にしているんだ。あれらの心は幾様にも働くことができるようにできている。自分に対すると同じような媚と笑いと情とをすぐ隣の室で他の男に与えているのだ。忘れても行かん。忘れても行かん。今まで使った金が惜しい」などと、憤慨して帰って来ることもあったが、しかしそれは複雑した心の状態を簡単に一時の理屈で解釈したもので、女の心にはもっとまじめなおもしろいところがあることがだんだんわかった。怒ったり泣いたり笑ったりしている間に、二人の間柄には、いろいろな色彩やら追憶が加わった。
女のもとにせっせと通って来るなかに、清三の知っている客がすくなくとも三人はあった。一人は栗橋の船宿の息子で、家には相応に財産があるらしく、角帯に眼鏡をかけて鳥打ち帽などをかぶってよく来た。色の白い丈のすらりとした好男子であった。一人は古河の裁判所の書記で、年はもう三十四五、家には女房も子供もあるのだが、根が道楽の酒好きで三日とかかずにやって来る。女はそのしつこいのに困りぬいて、「お客で来るのだからしかたがないけれど、ああいう人に勤めなけりゃならないと思うと、つくづくいやになってしまうよ。貴郎、早くこういうところから出してくださいな」などと言って甘えた、そういう時には、「栗橋のにそう言って出してもらってやろうか」などと柄にもない口を清三はきいた。と、女はきまって、男の膝をぴしゃりと平手で打って、これほど思って苦労しているのにという紋切り形の表情をしてみせた。それからいま一人塚崎の金持ちの百姓の息子が通って来た。田舎の女郎屋のこととて、室のつくりも完全していないので、落ち合うとその様子がよくわかる。その息子は丸顔の坊ちゃん坊ちゃんした可愛い顔をしていた。「可愛いおとなしい人よ。なんだか弟のような気がしてしかたがない」と女はのろけた。
そのほかにもまだあるらしかったが、よくわからなかった。鬚の生えた中年の男も来るようであった。清三は女の胸に誰が一番深く影を印しているかをさぐってみたが、どうもわからなかった。自分の影が一番深いようにも思われることもあれば、要するにうまくまるめられているのだと思うこともある。あの時、女はしみじみと泣いてそのあわれむべき境遇を語った。黒目がちな眼からは、涙がほろほろとこぼれた。清三はその時自己の境遇と女に対する自己の関係とをまじめに考えた。自分は小学校教員である。そういうことがちょっとでも知れれば勤めていることはできぬ身の上である。それに、家はかろうじて生活していく貧しい生活である。この女といっしょになることができないのは初めからわかりきったことである。この女がある人に身請けされるなり、年季が満ちて故郷に帰ることができるなりするのをむしろ女のために祝している。清三はゆくりなき縁で、こうした関係となっていく二人の状態を不思議にも意味深くも感じた。清三はまた一歩を進めて、今の生活のたつきをも捨てて、貧しい父母――ことに自分を唯一の力と頼む母をも捨てて、この女といっしょになる場合を想像してみた。功名のために、青雲の志を得んがために、母を捨てることができなかったように、やっぱりかれにはどうしてもそうした気にはなれなかった。帰りは、時々時雨が来たり日影がさしたりするという日の午後であった。いつもわたる渡良瀬川の渡しを渡って土手の上に来ると、ちょうど眼の前を、白いペンキ塗りの汚れた通運丸が、煙筒からは煤煙をみなぎらし、推進器からは水を切る白い波を立てて川をくだって行くのが手にとるように見えた。甲板の上には汚れた白い服を着たボーイが二三人仕事をしているのが小さく見えた。清三は立ちどまってじっとそれを見つめた。白い煙が細くズッと立つと思うと、汽笛のとがった響きが灰色に曇った水の上にけたたましく響きわたった。利根川はようようとして流れて下る、逝く者かくのごとしという感が清三の胸をおそってきた。
三十五
清三の中田通いは誰にも知られずに冬が来てその年も暮れた。その間にも危険に思ったことは二三度はある。一度は村の見知り越しの若者の横顔を張り見世の前でちらと見た。一度は大高島の渡船の中で村の学務委員といっしょになった。いま一度は大越の土手を歩いているとひょっくり同僚の関さんにでっくわした。その時はこれはてっきり看破されたと胸をドキつかせたが、清三のいつもの散歩癖を知っている関さんは、べつに疑うような口吻をももらさなかった。
けれど菓子屋、酒屋、小川屋、米屋などに借金がだんだんたまった。「林さん、どうしたんだろう。このごろは払いがたまって困るがなア」と小川屋の主婦は娘に言った。菓子屋の婆は「今月は少しゃ入れてもらわねえじゃ――よく言ってくんなれ」と学校の小使に頼んだ。小使は小使で「どうしたんだんべい。林さんもとは金持っていたほうだが、このごろじゃねっからお菜も買いやしねえ。いつも漬け物で茶をかけて飯をすましてしまうし、肉など何日にも煮て食ったためしがねえ」などとこのごろはあまり菜の残りのご馳走にあずからないで、ぶつぶつと不平そうに独り言を言った。同僚の関さんや羽生の荻生さんなどが訪ねて来ても、以前のようにビールも出さなかった。
様子の変なのを一番先きに気づいたのは、やはり行田の母親であった。わざわざ三里の路をやって来ても、そわそわといつも落ち着いていないばかりではない。友だちが東京から帰って来ていても訪問しようでもなく、昔のように相談をしかけてもフムフムと聞いているだけで相手にもなってくれない。それに、なんのかのと言って、毎月のものをおいて行かない。あれほど好きであった雑誌をろくろく買わず、常得意の町の本屋にもカケをこしらえない。母親は息子のこのごろどうかしているのをそれとなく感じて時々心を読もうとするような眼色をして、ジッと清三の顔を見つめることがある。
ある時こんなことを言った。
「この間ね、いい嫁があるッて、世話しようッて言う人があるんだがね……お前ももう身もきまったことだし、どうだ、もらう気はないかえ?」
清三は母の顔をじっと見て、
「だッて、自分が食べることさえたいていじゃないんだから」
「それはそうだろうけれど、お前ぐらいの月給で、女房子を養っている人はいくらもあるよ。いっしょになって、学校の近くに引っ越して、倹約して暮らすようにすれば、人並みにはやっていけないことはないよ」
「でもまだ早いから」
「でも、こうして離れていては、お前がどんなことをしているかわからないし」と笑ってみせて、
「それに、お前だッて不自由な思いをして、いつまで学校にいたッてしかたがないじゃないか」
「お母さん、そんなこと言うけれど、僕はまだこれで望みもあるんです。いま少し勉強して中学の教員の免状ぐらいは取りたいと思っているんだから……今から女房などを持ったッてしかたがありゃしない」
「そんな大きな望みを出したッてしかたがないじゃないかねえ」
「だって、僕一人田舎に埋もれてしまうのはいやですもの。一二年はまアしかたがないからこうしているけれど、いつかどうかして東京に出て勉強したいと思っているんです。音楽のほうをこのごろ少しやってるから、来年あたり試験を受けてみようと思っているんです。今から女房など持っちゃわざわざ田舎に埋れてしまうようなもんだ」
「だッて、はいれたところで学費はどうするんのさねえ?」
「音楽学校は官費があるから」
「そうして家はどうするのだえ?」
「その時は父さんと母さんで暮らしてもらうのさ。三年ぐらいどうにでもしてもらわなくっちゃ」
「それはできないことはないだろうけれど、父さんはああいうふうだし、私ばかり苦労しなくっちゃならないから」
清三は黙ってしまった。
またある時は次のような会話をした。
「お前、加藤の雪さんをもらう気はない?」
「雪さん? なぜ?」
「くれてもいいような母さんの口ぶりだッたからさ」
「どうして?」
「それとはっきり言ったわけじゃないけれど、たって望めばくれるような様子だッたから」
「いやなこった。あんな白々しい、おしゃらくは!」
「だッて、郁治さんとはお前は兄弟のようだし、くれさえすりゃ望んでも欲しいくらいな娘じゃないかね」
「いやなこった」
「このごろはどうかしたのかえ? 加藤にもめったに行かんじゃないか?」
「利益交換なぞいやなこった!」
こう言って、清三はぷいと立ってしまった。母親にはその意味がわからなかった。
一月には郁治も美穂子も帰っていた。郁治にも二三度会って話をした。美穂子についての話はもうしなかつた。郁治はむしろ消極的に恋愛の無意味を語った。「なぜあんなに熱心になったか自分でもわからない。ちょうどさかりがついたもののようなものだったんだね」と言って笑った。そのくせ郁治と美穂子とはよく相携えて散歩した。男は高師の制帽をかぶり、女は新式の庇髪に結って、はでな幅の広いリボンをかけた。小畑の手紙によると二人はもう恋愛以上の交際を続けているらしかった。清三はいやな気がした。
ちょうどそのころ熊谷の小滝の話が新聞に出ていた。「小滝の落籍」という見出しで、伊勢崎の豪商に根曳きされる話がひやかし半分に書いてある。小滝には深谷の金持ちの息子で、今年大学に入学した情人があった。その男に小滝は並々ならぬ情を見せたが、その家には許婚のこれも東京の跡見女学校にはいっている娘があって、とうてい望みを達することができぬので、泣きの涙で、今度いよいよ落籍されることになったと書いてある。その豪商は年は四十五六で、女房も子もある。「どうせ一二年辛い年貢を納めると、また舞いもどって二度のお勤め、今晩は――と例のあでやかな声が聞かれるだろうから、今からおなじみの方々はその時を待っているそうだ」などとひやかしてあった。ほんとうの事情は知らぬが、清三はそうした社会に生い立った女の身の上を思わぬわけにはいかなかった。思いのままにならぬ世の中に、さらに思いのままにならぬ境遇に身をおいて、うき草のように浮き沈みしていくその人々の身の上がしみじみと思いやられる。小滝のある間は――その美しい姿と艶なる声とのする間は、友人が離散し去っても、幼いころの追憶が薄くなっても、熊谷の町はまだかれのためになつかしい町、恋しい町、忘れがたい町であったが、今はそれさえ他郷の人となってしまった。神燈の影艶かしい細い小路をいくら歩いても、にこにこといつも元気のいい顔を見せて、幼いころの同窓のよしみを忘れない「われらの小滝」を見ることはできなくなったのである。清三は三が日をすますと、母親のとめるのをふりはなって、今までにかつてないさびしい心を抱いて、西風の吹き荒れる三里の街道を弥勒へと帰って来た。
それでも懐には中田に行くための金が三円残してあった。
三十六
三月のある寒い日であった。
渡良瀬川の渡し場から中田に来る間の夕暮れの風はヒュウヒュウと肌を刺すように寒く吹いた。灰色の雲は空をおおって、おりおり通る帆の影も暗かった。
灯のつくころ、中田に来て、いつもの通り階段を上がったが、なじみでない新造が来て、まじめな顔をして、二階の別の室に通した。いつも――客がいる時でも、行くとすぐ顔を見せた女がやって来ない。不思議にしていると、やがてなじみの新造が上って来て、
「おいらんもな、おめでたいことで――この十五日に身ぬけができましたでな」
清三は金槌か何かでガンと頭を打たれたような気がした。
「貴郎さんにもな、ぜひゆく前に一度お目にかかりたいッて言っていましたけれど――貴郎はちょうどお見えにならんし、急なものだで、手紙を上げてる暇もなし、おいらんも残念がっていましたけれど、しかたがなしに、貴郎が来たらよく言ってくれッてな――それにこれを渡してくれッておいて行きましたから」と風呂敷包みを渡した。中には一通の手紙と半紙に包んだ四角なものがはいっていた。手紙には金釘のような字で、おぼつかなく別れの紋切り形の言葉が書いてあった。残念々々残念々々という字がいくつとなく眼にはいった。しかし身請けされて行ったところは書いてなかった。
半紙に包んだのは写真であった。
おばさんは手に取って、
「おいらんも罪なことをする人だよ」
と笑った。
身請けされて行った先は話さなかった。相方はかねて知っている静枝の妹女郎が来た。顔の丸い肥った女だッた。清三は黙って酒を飲んだ。黙ってその妹女郎と寝た。妹女郎は行った人の話をいろいろとして聞かした。清三は黙って聞いた。
翌日は早く帰途についた。存外心は平静であった。「どうせこうなる運命だッたんだ」とみずから口に出して言ってみた。「なんでもない、あたり前のことだ」と言ってみた。けれど平静であるだけそれだけかれは深い打撃を受けていた。
土手に上がる時、
「憎い奴だ、復讐をしてやらなけりゃならん、復讐! 複讐!」
と叫んだ。しかし心はそんなに激してはおらなかった。
麦倉の茶店では、茶をのみながら、
「もうここに休むこともこれぎりだ」
大高島の渡しを渡って、いつものように間道を行こうとしたが、これも思い返して、
「なアに、もうわかったッてかまうもんか」
で、大越に出て、わざと老訓導の家を訪うた。
老訓導は清三のつねに似ずきわだってはしゃいでいるのを不思議に思った。清三は出してくれたビールをグングンとあおって飲んだ。
「何か一つ大きなことでもしたいもんですなア――なんでもいいから、世の中をびっくりさせるようなことを」
こんなことを言った。そしてこれと同じことを昨年羽生の寺で和尚さんに言ったことを思い出した。たまらなくさびしい気がした。
三十七
その年の九月、午後の残暑の日影を受けて、上野公園の音楽学校の校門から、入学試験を受けた人々の群れがぞろぞろと出て来た。羽織袴もあれば洋服もある。廂髪に董色の袴をはいた女学生もある。校内からは、ピアノの音がゆるやかに聞こえた。
その群れの中に詰襟の背広を着て、古い麦稈帽子をかむって、一人てくてくと塀ぎわに寄って歩いて行く男があった。靴は埃にまみれて白く、毛繻子の蝙蝠傘はさめて羊羹色になっていた。それは田舎からわざわざ試験を受けに来た清三であった。
はいっただけでも心がふるえるような天井の高い室、鬚の生えた肥ったりっぱな体格をした試験委員、大きなピヤノには、中年の袴をはいた女が後ろ向きになってしきりに妙な音を立てていた。清三は田舎の小学校の小さなオルガンで学んだ研究が、なんの役にもたたなかったことをやがて知った。一生懸命で集めた歌曲の譜もまったく徒労に属したのである。かれは初歩の試験にまず失敗した。顔を真赤にした自分の小さなあわれな姿がいたずらに試験官の笑いをかったのがまだ眼の前にちらついて見えるようであった。「だめ! だめ!」と独りで言ってかれは頭を振った。
公園のロハ台は木の影で涼しかった。風がおりおり心地よく吹いて通った。かれは心を静めるためにそこに横になった。向こうには縁台に赤い毛布を敷いたのがいくつとなく並んで、赤い襷であやどった若い女のメリンスの帯が見える。中年増の姿もくっきりと見える。赤い地に氷という字を白く抜いた旗がチラチラする。
動物園の前には一輌の馬車が待っていた。白いハッピを着た御者はブラブラしていた、出札所には田舎者らしい二人づれが大きな財布から銭を出して札を買っていた。
東京に出たのは初めてである。試験をすましたら、動物園も見よう、博物館にもはいろう、ひととおり市中の見物もしよう、お茶の水の寄宿舎に小畑や郁治をも訪ねよう、こういろいろ心の中に計画してやって来た。田舎の空気によごれた今までの生活をのがれて、新しい都会の生活をこれから開くのだと思うと、中学を出たころの若々しい気分にもなれた。昨日吹上の停車場をたつ時には、久しぶりで、さまざまの希望の念が胸にみなぎったのである。かれはロハ台に横たわりながら、その希望と今の失望との間にはさまった一場の光景をまた思い浮かべた。
ロハ台から起き上がる気分になるまでには、少なくとも一時間はたった。馬車はもういなかった。なにがし子爵夫人ともいいそうなりっぱな貴婦人が、可愛らしい洋服姿の子供を三四人つれてそこから出て来て、嬉々として馬車に乗ると、御者は鞭を一当あてて、あとに白い埃を立てて、ガラガラときしって行った。その白い埃を見つめたのをかれは覚えている。「せめて動物園でも見て行こう」と思ってかれは身を起こした。
丹頂の鶴、たえず鼻を巻く大きな象、遠い国から来たカンガルウ、駱駝だの驢馬だの鹿だの羊だのがべつだん珍らしくもなく歩いて行くかれの眼にうつった。ライオンの前ではそれでも久しく立ちどまって見ていた。養魚室の暗い隧道の中では、水の中にあきらかな光線がさしとおって、金魚や鯛などが泳いでいるのがあざやかに見えた。水珠がそこからもここからもあがった。
鴎や鴛鴦やそのほかさまざまの水鳥のいる前のロハ台にかれはまた腰をおろした。あたりをさまざまな人がいろいろなことを言ってぞろぞろ通る。子供は鳥のにぎやかに飛んだり鳴いたりするのをおもしろがって、柵につかまって見とれている。しばらくしてかれはまた歩き出した。鷹だの狐だの狸だのいるところを通って、猿が歯をむいたり赤い尻を振り立てているところを抜けて、北極熊や北海道の大きな熊のいるところを通った。孔雀のみごとな羽もさして興味をひかなかった。かれははいった時と同じようにして出て行った。
東照宮の前では、女学生がはでな蝙蝠傘をさして歩いていた。パノラマには、古ぼけた日清戦争の画かなんかがかかっていて、札番が退屈そうに欠をしていた。
竹の台に来て、かれはまた三たびロハ台に腰をかけた。
眼下に横たわっている大都会、甍が甍に続いて、煙突からは黒いすさまじい煙があがっているのが見える。あちこちから起こる物音が一つになって、なんだかそれが大都会のすさまじい叫びのように思われる。ここに罪悪もあれば事業もある。功名もあれば富貴もある。飢餓もあれば絶望もある。新聞紙上に毎日のようにあらわれて来る三面事故のことなども胸にのぼった。
竹の台からおりると、前に広小路の雑踏がひろげられた。馬車鉄道があとからあとからいく台となく続いて行く。水撒夫がその中を平気で水をまいて行く。人力車が懸け声ではしって行く。
しばらくして、清三の姿は、その通りの小さい蕎麦屋に見られた。
「いらっしゃい!」
と若い婢の黄いろい声がした。
「ざる一つ!」
という声がつづいてした。
清三は夕日のさし込んで来る座敷の一隅で、誂えの来る間を、大きな男が大釜の蓋を取ったり閉てたりするのを見ていた。釜の蓋を取ると、湯気が白くぱッとあがった。長い竹の箸でかき回して、ザブザブと水で洗って、それをざるに手で盛った。「お待ち遠さま」と婢はそれを膳に載せて運んで来た。足の裏が黒かった。
清三はざるを二杯、天ぷらを一杯食って、ビールを一本飲んだ。酔いが回って来ると、少し元気がついた。
「帰ろう。小畑や加藤を訪問したッてしかたがない」
懐から財布を出して勘定をした。やがて雑踏の中を停車場に急いで行くかれの姿が見られた。