「私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです。私は、私の眼、私の心、私の身体からだ、すべて私という名の付くものを五隙間すきまもないように用意して、Kに向ったのです。罪のないKは穴だらけというよりむしろ明け放しと評するのが適当なくらいに無用心でした。私は彼自身の手から、彼の保管している要塞ようさいの地図を受け取って、彼の眼の前でゆっくりそれをながめる事ができたも同じでした。
 Kが理想と現実の間に彷徨ほうこうしてふらふらしているのを発見した私は、ただ一打ひとうちで彼を倒す事ができるだろうという点にばかり眼を着けました。そうしてすぐ彼のきょに付け込んだのです。私は彼に向って急に厳粛な改まった態度を示し出しました。無論策略からですが、その態度に相応するくらいな緊張した気分もあったのですから、自分に滑稽こっけいだの羞恥しゅうちだのを感ずる余裕はありませんでした。私はまず「精神的に向上心のないものは馬鹿ばかだ」といい放ちました。これは二人で房州ぼうしゅうを旅行している際、Kが私に向って使った言葉です。私は彼の使った通りを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。しかし決して復讐ふくしゅうではありません。私は復讐以上に残酷な意味をもっていたという事を自白します。私はその一言いちごんでKの前に横たわる恋の行手ゆくてふさごうとしたのです。
 Kは真宗寺しんしゅうでらに生れた男でした。しかし彼の傾向は中学時代から決して生家の宗旨しゅうしに近いものではなかったのです。教義上の区別をよく知らない私が、こんな事をいう資格に乏しいのは承知していますが、私はただ男女なんにょに関係した点についてのみ、そう認めていたのです。Kは昔から精進しょうじんという言葉が好きでした。私はその言葉の中に、禁欲きんよくという意味もこもっているのだろうと解釈していました。しかし後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲せつよく禁欲きんよくは無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨害さまたげになるのです。Kが自活生活をしている時分に、私はよく彼から彼の主張を聞かされたのでした。そのころからお嬢さんを思っていた私は、勢いどうしても彼に反対しなければならなかったのです。私が反対すると、彼はいつでも気の毒そうな顔をしました。そこには同情よりも侮蔑ぶべつの方が余計に現われていました。
 こういう過去を二人の間に通り抜けて来ているのですから、精神的に向上心のないものは馬鹿だという言葉は、Kに取って痛いに違いなかったのです。しかし前にもいった通り、私はこの一言で、彼が折角せっかく積み上げた過去を蹴散けちらしたつもりではありません。かえってそれを今まで通り積み重ねて行かせようとしたのです。それが道に達しようが、天に届こうが、私は構いません。私はただKが急に生活の方向を転換して、私の利害と衝突するのを恐れたのです。要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした。
「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」
 私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見詰めていました。
「馬鹿だ」とやがてKが答えました。「僕は馬鹿だ」
 Kはぴたりとそこへ立ちまったまま動きません。彼は地面の上を見詰めています。私は思わずぎょっとしました。私にはKがその刹那せつな居直いなおり強盗のごとく感ぜられたのです。しかしそれにしては彼の声がいかにも力に乏しいという事に気が付きました。私は彼の眼遣めづかいを参考にしたかったのですが、彼は最後まで私の顔を見ないのです。そうして、徐々そろそろとまた歩き出しました。


「私はKと並んで足を運ばせながら、彼の口を出る次の言葉を腹の中であんに待ち受けました。あるいは待ち伏せといった方がまだ適当かも知れません。その時の私はたといKをだまし打ちにしても構わないくらいに思っていたのです。しかし私にも教育相当の良心はありますから、もし誰か私のそばへ来て、お前は卑怯ひきょうだと一言ひとこと私語ささやいてくれるものがあったなら、私はその瞬間に、はっと我に立ち帰ったかも知れません。もしKがその人であったなら、私はおそらく彼の前に赤面したでしょう。ただKは私をたしなめるには余りに正直でした。余りに単純でした。余りに人格が善良だったのです。目のくらんだ私は、そこに敬意を払う事を忘れて、かえってそこに付け込んだのです。そこを利用して彼を打ち倒そうとしたのです。
 Kはしばらくして、私の名を呼んで私の方を見ました。今度は私の方で自然と足を留めました。するとKも留まりました。私はその時やっとKの眼を真向まむきに見る事ができたのです。Kは私よりせいの高い男でしたから、私は勢い彼の顔を見上げるようにしなければなりません。私はそうした態度で、おおかみのごとき心を罪のない羊に向けたのです。
「もうその話はめよう」と彼がいいました。彼の眼にも彼の言葉にも変に悲痛なところがありました。私はちょっと挨拶あいさつができなかったのです。するとKは、「めてくれ」と今度は頼むようにいい直しました。私はその時彼に向って残酷な答を与えたのです。おおかみすきを見て羊の咽喉笛のどぶえくらい付くように。
めてくれって、僕がいい出した事じゃない、もともと君の方から持ち出した話じゃないか。しかし君が止めたければ、止めてもいいが、ただ口の先で止めたって仕方があるまい。君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」
 私がこういった時、せいの高い彼は自然と私の前に萎縮いしゅくして小さくなるような感じがしました。彼はいつも話す通りすこぶ強情ごうじょうな男でしたけれども、一方ではまた人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平気でいられないたちだったのです。私は彼の様子を見てようやく安心しました。すると彼は卒然そつぜん「覚悟?」と聞きました。そうして私がまだ何とも答えない先に「覚悟、――覚悟ならない事もない」と付け加えました。彼の調子は独言ひとりごとのようでした。また夢の中の言葉のようでした。
 二人はそれぎり話を切り上げて、小石川こいしかわの宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかはさびしいものでした。ことに霜に打たれて蒼味あおみを失った杉の木立こだち茶褐色ちゃかっしょくが、薄黒い空の中に、こずえを並べてそびえているのを振り返って見た時は、寒さが背中へかじり付いたような心持がしました。我々は夕暮の本郷台ほんごうだいを急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向うのおかのぼるべく小石川の谷へ下りたのです。私はそのころになって、ようやく外套がいとうの下にたい温味あたたかみを感じ出したぐらいです。
 急いだためでもありましょうが、我々は帰りみちにはほとんど口を聞きませんでした。うちへ帰って食卓に向った時、奥さんはどうして遅くなったのかと尋ねました。私はKに誘われて上野うえのへ行ったと答えました。奥さんはこの寒いのにといって驚いた様子を見せました。お嬢さんは上野に何があったのかと聞きたがります。私は何もないが、ただ散歩したのだという返事だけしておきました。平生へいぜいから無口なKは、いつもよりなお黙っていました。奥さんが話しかけても、お嬢さんが笑っても、ろく挨拶あいさつはしませんでした。それからめしみ込むようにき込んで、私がまだ席を立たないうちに、自分のへやへ引き取りました。


「そのころ覚醒かくせいとか新しい生活とかいう文字もんじのまだない時分でした。しかしKが古い自分をさらりと投げ出して、一意いちいに新しい方角へ走り出さなかったのは、現代人の考えが彼に欠けていたからではないのです。彼には投げ出す事のできないほどたっとい過去があったからです。彼はそのために今日こんにちまで生きて来たといってもいいくらいなのです。だからKが一直線に愛の目的物に向って猛進しないといって、決してその愛の生温なまぬるい事を証拠立てる訳にはゆきません。いくら熾烈しれつな感情が燃えていても、彼はむやみに動けないのです。前後を忘れるほどの衝動が起る機会を彼に与えない以上、Kはどうしてもちょっと踏みとどまって自分の過去を振り返らなければならなかったのです。そうすると過去が指し示すみちを今まで通り歩かなければならなくなるのです。その上彼には現代人のもたない強情ごうじょうと我慢がありました。私はこの双方の点においてよく彼の心を見抜いていたつもりなのです。
 上野うえのから帰った晩は、私に取って比較的安静なでした。私はKがへやへ引き上げたあとを追い懸けて、彼の机のそばすわり込みました。そうして取り留めもない世間話をわざと彼に仕向けました。彼は迷惑そうでした。私の眼には勝利の色が多少輝いていたでしょう、私の声にはたしかに得意の響きがあったのです。私はしばらくKと一つ火鉢に手をかざしたあと、自分の室に帰りました。ほかの事にかけては何をしても彼に及ばなかった私も、その時だけは恐るるに足りないという自覚を彼に対してもっていたのです。
 私はほどなく穏やかな眠りに落ちました。しかし突然私の名を呼ぶ声で眼を覚ましました。見ると、間のふすまが二しゃくばかりいて、そこにKの黒い影が立っています。そうして彼の室にはよいの通りまだ燈火あかりいているのです。急に世界の変った私は、少しのあいだ口をく事もできずに、ぼうっとして、その光景をながめていました。
 その時Kはもう寝たのかと聞きました。Kはいつでも遅くまで起きている男でした。私は黒い影法師かげぼうしのようなKに向って、何か用かと聞き返しました。Kは大した用でもない、ただもう寝たか、まだ起きているかと思って、便所へ行ったついでに聞いてみただけだと答えました。Kは洋燈ランプを背中に受けているので、彼の顔色や眼つきは、全く私には分りませんでした。けれども彼の声は不断よりもかえって落ち付いていたくらいでした。
 Kはやがて開けた襖をぴたりと立て切りました。私の室はすぐ元の暗闇くらやみに帰りました。私はその暗闇より静かな夢を見るべくまた眼を閉じました。私はそれぎり何も知りません。しかし翌朝よくあさになって、昨夕ゆうべの事を考えてみると、何だか不思議でした。私はことによると、すべてが夢ではないかと思いました。それでめしを食う時、Kに聞きました。Kはたしかに襖を開けて私の名を呼んだといいます。なぜそんな事をしたのかと尋ねると、別に判然はっきりした返事もしません。調子の抜けた頃になって、近頃は熟睡ができるのかとかえって向うから私に問うのです。私は何だか変に感じました。
 その日ちょうど同じ時間に講義の始まる時間割になっていたので、二人はやがていっしょにうちを出ました。今朝けさから昨夕の事が気にかかっている私は、途中でまたKを追窮ついきゅうしました。けれどもKはやはり私を満足させるような答えをしません。私はあの事件について何か話すつもりではなかったのかと念を押してみました。Kはそうではないと強い調子でいい切りました。昨日きのう上野で「その話はもうめよう」といったではないかと注意するごとくにも聞こえました。Kはそういう点に掛けて鋭い自尊心をもった男なのです。ふとそこに気のついた私は突然彼の用いた「覚悟」という言葉を連想し出しました。すると今までまるで気にならなかったその二字が妙な力で私の頭をおさえ始めたのです。


「Kの果断に富んだ性格はわたくしによく知れていました。彼のこの事件についてのみ優柔ゆうじゅうな訳も私にはちゃんとみ込めていたのです。つまり私は一般を心得た上で、例外の場合をしっかりつらまえたつもりで得意だったのです。ところが「覚悟」という彼の言葉を、頭のなかで何遍なんべん咀嚼そしゃくしているうちに、私の得意はだんだん色を失って、しまいにはぐらぐらうごき始めるようになりました。私はこの場合もあるいは彼にとって例外でないのかも知れないと思い出したのです。すべての疑惑、煩悶はんもん懊悩おうのう、を一度に解決する最後の手段を、彼は胸のなかにたたみ込んでいるのではなかろうかとうたぐり始めたのです。そうした新しい光で覚悟の二字をながめ返してみた私は、はっと驚きました。その時の私がもしこの驚きをもって、もう一返いっぺん彼の口にした覚悟の内容を公平に見廻みまわしたらば、まだよかったかも知れません。悲しい事に私は片眼めっかちでした。私はただKがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと一図いちずに思い込んでしまったのです。
 私は私にも最後の決断が必要だという声を心の耳で聞きました。私はすぐその声に応じて勇気を振り起しました。私はKより先に、しかもKの知らないに、事を運ばなくてはならないと覚悟をめました。私は黙って機会をねらっていました。しかし二日っても三日経っても、私はそれをつらまえる事ができません。私はKのいない時、またお嬢さんの留守な折を待って、奥さんに談判を開こうと考えたのです。しかし片方がいなければ、片方が邪魔をするといったふうの日ばかり続いて、どうしても「今だ」と思う好都合が出て来てくれないのです。私はいらいらしました。
 一週間ののち私はとうとう堪え切れなくなって仮病けびょうつかいました。奥さんからもお嬢さんからも、K自身からも、起きろという催促を受けた私は、生返事なまへんじをしただけで、十時ごろまで蒲団ふとんかぶって寝ていました。私はKもお嬢さんもいなくなって、家のなかがひっそり静まった頃を見計みはからって寝床を出ました。私の顔を見た奥さんは、すぐどこが悪いかと尋ねました。食物たべもの枕元まくらもとへ運んでやるから、もっと寝ていたらよかろうと忠告してもくれました。身体からだに異状のない私は、とても寝る気にはなれません。顔を洗っていつもの通り茶の間でめしを食いました。その時奥さんは長火鉢ながひばち向側むこうがわから給仕をしてくれたのです。私は朝飯あさめしとも午飯ひるめしとも片付かない茶椀ちゃわんを手に持ったまま、どんな風に問題を切り出したものだろうかと、そればかりに屈托くったくしていたから、外観からは実際気分のくない病人らしく見えただろうと思います。
 私は飯をしまって烟草タバコを吹かし出しました。私が立たないので奥さんも火鉢のそばを離れる訳にゆきません。下女げじょを呼んでぜんを下げさせた上、鉄瓶てつびんに水をしたり、火鉢のふちいたりして、私に調子を合わせています。私は奥さんに特別な用事でもあるのかと問いました。奥さんはいいえと答えましたが、今度は向うでなぜですと聞き返して来ました。私は実は少し話したい事があるのだといいました。奥さんは何ですかといって、私の顔を見ました。奥さんの調子はまるで私の気分にはいり込めないような軽いものでしたから、私は次に出すべき文句も少し渋りました。
 私は仕方なしに言葉の上で、い加減にうろつきまわった末、Kが近頃ちかごろ何かいいはしなかったかと奥さんに聞いてみました。奥さんは思いも寄らないという風をして、「何を?」とまた反問して来ました。そうして私の答える前に、「あなたには何かおっしゃったんですか」とかえって向うで聞くのです。


「Kから聞かされた打ち明け話を、奥さんに伝える気のなかった私は、「いいえ」といってしまった後で、すぐ自分のうそこころよからず感じました。仕方がないから、別段何も頼まれた覚えはないのだから、Kに関する用件ではないのだといい直しました。奥さんは「そうですか」といって、あとを待っています。私はどうしても切り出さなければならなくなりました。私は突然「奥さん、お嬢さんを私に下さい」といいました。奥さんは私の予期してかかったほど驚いた様子も見せませんでしたが、それでも少時しばらく返事ができなかったものと見えて、黙って私の顔をながめていました。一度いい出した私は、いくら顔を見られても、それに頓着とんじゃくなどはしていられません。「下さい、ぜひ下さい」といいました。「私の妻としてぜひ下さい」といいました。奥さんは年を取っているだけに、私よりもずっと落ち付いていました。「上げてもいいが、あんまり急じゃありませんか」と聞くのです。私が「急にもらいたいのだ」とすぐ答えたら笑い出しました。そうして「よく考えたのですか」と念を押すのです。私はいい出したのは突然でも、考えたのは突然でないという訳を強い言葉で説明しました。
 それからまだ二つ三つの問答がありましたが、私はそれを忘れてしまいました。男のように判然はきはきしたところのある奥さんは、普通の女と違ってこんな場合には大変心持よく話のできる人でした。「ござんす、差し上げましょう」といいました。「差し上げるなんて威張いばった口のける境遇ではありません。どうぞ貰って下さい。ご存じの通り父親のないあわれな子です」とあとでは向うから頼みました。
 話は簡単でかつ明瞭めいりょうに片付いてしまいました。最初からしまいまでにおそらく十五分とはかからなかったでしょう。奥さんは何の条件も持ち出さなかったのです。親類に相談する必要もない、後から断ればそれで沢山だといいました。本人の意嚮いこうさえたしかめるに及ばないと明言しました。そんな点になると、学問をした私の方が、かえって形式に拘泥こうでいするくらいに思われたのです。親類はとにかく、当人にはあらかじめ話して承諾をるのが順序らしいと私が注意した時、奥さんは「大丈夫です。本人が不承知の所へ、私があの子をやるはずがありませんから」といいました。
 自分のへやへ帰った私は、事のあまりに訳もなく進行したのを考えて、かえって変な気持になりました。はたして大丈夫なのだろうかという疑念さえ、どこからか頭の底にい込んで来たくらいです。けれども大体の上において、私の未来の運命は、これで定められたのだという観念が私のすべてを新たにしました。
 私は午頃ひるごろまた茶の間へ出掛けて行って、奥さんに、今朝けさの話をお嬢さんに何時いつ通じてくれるつもりかと尋ねました。奥さんは、自分さえ承知していれば、いつ話しても構わなかろうというような事をいうのです。こうなると何だか私よりも相手の方が男みたようなので、私はそれぎり引き込もうとしました。すると奥さんが私を引き留めて、もし早い方が希望ならば、今日でもいい、稽古けいこから帰って来たら、すぐ話そうというのです。私はそうしてもらう方が都合がいと答えてまた自分の室に帰りました。しかし黙って自分の机の前にすわって、二人のこそこそ話を遠くから聞いている私を想像してみると、何だか落ち付いていられないような気もするのです。私はとうとう帽子をかぶって表へ出ました。そうしてまた坂の下でお嬢さんに行き合いました。何にも知らないお嬢さんは私を見て驚いたらしかったのです。私が帽子をって「今お帰り」と尋ねると、向うではもう病気はなおったのかと不思議そうに聞くのです。私は「ええ癒りました、癒りました」と答えて、ずんずん水道橋すいどうばしの方へ曲ってしまいました。


「私は猿楽町さるがくちょうから神保町じんぼうちょうの通りへ出て、小川町おがわまちの方へ曲りました。私がこの界隈かいわいを歩くのは、いつも古本屋をひやかすのが目的でしたが、その日は手摺てずれのした書物などをながめる気が、どうしても起らないのです。私は歩きながら絶えずうちの事を考えていました。私には先刻さっきの奥さんの記憶がありました。それからお嬢さんが宅へ帰ってからの想像がありました。私はつまりこの二つのもので歩かせられていたようなものです。その上私は時々往来の真中で我知らずふと立ち留まりました。そうして今頃は奥さんがお嬢さんにもうあの話をしている時分だろうなどと考えました。またる時は、もうあの話が済んだ頃だとも思いました。
 私はとうとう万世橋まんせいばしを渡って、明神みょうじんの坂を上がって、本郷台ほんごうだいへ来て、それからまた菊坂きくざかを下りて、しまいに小石川こいしかわの谷へ下りたのです。私の歩いた距離はこの三区にまたがって、いびつな円をえがいたともいわれるでしょうが、私はこの長い散歩の間ほとんどKの事を考えなかったのです。今その時の私を回顧して、なぜだと自分に聞いてみても一向いっこう分りません。ただ不思議に思うだけです。私の心がKを忘れるくらい、一方に緊張していたとみればそれまでですが、私の良心がまたそれを許すべきはずはなかったのですから。
 Kに対する私の良心が復活したのは、私が宅の格子こうしを開けて、玄関から坐敷ざしきへ通る時、すなわち例のごとく彼のへやを抜けようとした瞬間でした。彼はいつもの通り机に向って書見をしていました。彼はいつもの通り書物から眼を放して、私を見ました。しかし彼はいつもの通り今帰ったのかとはいいませんでした。彼は「病気はもういのか、医者へでも行ったのか」と聞きました。私はその刹那せつなに、彼の前に手を突いて、あやまりたくなったのです。しかも私の受けたその時の衝動は決して弱いものではなかったのです。もしKと私がたった二人曠野こうやの真中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこで食い留められてしまったのです。そうして悲しい事に永久に復活しなかったのです。
 夕飯ゆうめしの時Kと私はまた顔を合せました。何にも知らないKはただ沈んでいただけで、少しも疑い深い眼を私に向けません。何にも知らない奥さんはいつもよりうれしそうでした。私だけがすべてを知っていたのです。私は鉛のような飯を食いました。その時お嬢さんはいつものようにみんなと同じ食卓に並びませんでした。奥さんが催促すると、次の室で只今ただいまと答えるだけでした。それをKは不思議そうに聞いていました。しまいにどうしたのかと奥さんに尋ねました。奥さんは大方おおかたきまりが悪いのだろうといって、ちょっと私の顔を見ました。Kはなお不思議そうに、なんで極りが悪いのかと追窮ついきゅうしにかりました。奥さんは微笑しながらまた私の顔を見るのです。
 私は食卓に着いた初めから、奥さんの顔付かおつきで、事の成行なりゆきをほぼ推察していました。しかしKに説明を与えるために、私のいる前で、それをことごとく話されてはたまらないと考えました。奥さんはまたそのくらいの事を平気でする女なのですから、私はひやひやしたのです。幸いにKはまた元の沈黙に帰りました。平生へいぜいより多少機嫌のよかった奥さんも、とうとう私の恐れをいだいている点までは話を進めずにしまいました。私はほっと一息ひといきして室へ帰りました。しかし私がこれから先Kに対して取るべき態度は、どうしたものだろうか、私はそれを考えずにはいられませんでした。私は色々の弁護を自分の胸でこしらえてみました。けれどもどの弁護もKに対して面と向うには足りませんでした、卑怯ひきょうな私はついに自分で自分をKに説明するのがいやになったのです。


「私はそのまま二、三日過ごしました。その二、三日の間Kに対する絶えざる不安が私の胸を重くしていたのはいうまでもありません。私はただでさえ何とかしなければ、彼に済まないと思ったのです。その上奥さんの調子や、お嬢さんの態度が、始終私を突ッつくように刺戟しげきするのですから、私はなおつらかったのです。どこか男らしい気性をそなえた奥さんは、いつ私の事を食卓でKにすっぱ抜かないとも限りません。それ以来ことに目立つように思えた私に対するお嬢さんの挙止動作きょしどうさも、Kの心を曇らす不審の種とならないとは断言できません。私は何とかして、私とこの家族との間に成り立った新しい関係を、Kに知らせなければならない位置に立ちました。しかし倫理的に弱点をもっていると、自分で自分を認めている私には、それがまた至難の事のように感ぜられたのです。
 私は仕方がないから、奥さんに頼んでKに改めてそういってもらおうかと考えました。無論私のいない時にです。しかしありのままを告げられては、直接と間接の区別があるだけで、面目めんぼくのないのに変りはありません。といって、こしらえ事を話してもらおうとすれば、奥さんからその理由を詰問きつもんされるにきまっています。もし奥さんにすべての事情を打ち明けて頼むとすれば、私は好んで自分の弱点を自分の愛人とその母親の前にさらけ出さなければなりません。真面目まじめな私には、それが私の未来の信用に関するとしか思われなかったのです。結婚する前から恋人の信用を失うのは、たとい一りんでも、私には堪え切れない不幸のように見えました。
 要するに私は正直なみちを歩くつもりで、つい足を滑らした馬鹿ものでした。もしくは狡猾こうかつな男でした。そうしてそこに気のついているものは、今のところただ天と私の心だけだったのです。しかし立ち直って、もう一歩前へ踏み出そうとするには、今滑った事をぜひとも周囲の人に知られなければならない窮境きゅうきょうおちいったのです。私はあくまで滑った事を隠したがりました。同時に、どうしても前へ出ずにはいられなかったのです。私はこの間にはさまってまたすくみました。
 五、六日ったのち、奥さんは突然私に向って、Kにあの事を話したかと聞くのです。私はまだ話さないと答えました。するとなぜ話さないのかと、奥さんが私をなじるのです。私はこの問いの前に固くなりました。その時奥さんが私を驚かした言葉を、私は今でも忘れずに覚えています。
「道理でわたしが話したら変な顔をしていましたよ。あなたもよくないじゃありませんか。平生へいぜいあんなに親しくしている間柄だのに、黙って知らん顔をしているのは」
 私はKがその時何かいいはしなかったかと奥さんに聞きました。奥さんは別段何にもいわないと答えました。しかし私は進んでもっとこまかい事を尋ねずにはいられませんでした。奥さんはもとより何も隠す訳がありません。大した話もないがといいながら、一々Kの様子を語って聞かせてくれました。
 奥さんのいうところを綜合そうごうして考えてみると、Kはこの最後の打撃を、最も落ち付いた驚きをもって迎えたらしいのです。Kはお嬢さんと私との間に結ばれた新しい関係について、最初はそうですかとただ一口ひとくちいっただけだったそうです。しかし奥さんが、「あなたも喜んで下さい」と述べた時、彼ははじめて奥さんの顔を見て微笑をらしながら、「おめでとうございます」といったまま席を立ったそうです。そうして茶の間の障子しょうじを開ける前に、また奥さんを振り返って、「結婚はいつですか」と聞いたそうです。それから「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」といったそうです。奥さんの前にすわっていた私は、その話を聞いて胸がふさがるような苦しさを覚えました。


「勘定して見ると奥さんがKに話をしてからもう二日余りになります。その間Kは私に対して少しも以前と異なった様子を見せなかったので、私は全くそれに気が付かずにいたのです。彼の超然とした態度はたとい外観だけにもせよ、敬服にあたいすべきだと私は考えました。彼と私を頭の中で並べてみると、彼の方がはるかに立派に見えました。「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」という感じが私の胸に渦巻いて起りました。私はその時さぞKが軽蔑けいべつしている事だろうと思って、一人で顔をあからめました。しかし今更Kの前に出て、恥をかせられるのは、私の自尊心にとって大いな苦痛でした。
 私が進もうかそうかと考えて、ともかくも翌日あくるひまで待とうと決心したのは土曜の晩でした。ところがその晩に、Kは自殺して死んでしまったのです。私は今でもその光景を思い出すと慄然ぞっとします。いつも東枕ひがしまくらで寝る私が、その晩に限って、偶然西枕にとこを敷いたのも、何かの因縁いんねんかも知れません。私は枕元から吹き込む寒い風でふと眼を覚ましたのです。見ると、いつも立て切ってあるKと私のへやとの仕切しきりふすまが、この間の晩と同じくらいいています。けれどもこの間のように、Kの黒い姿はそこには立っていません。私は暗示を受けた人のように、床の上にひじを突いて起き上がりながら、きっとKの室をのぞきました。洋燈ランプが暗くともっているのです。それで床も敷いてあるのです。しかし掛蒲団かけぶとん跳返はねかえされたようにすその方に重なり合っているのです。そうしてK自身は向うむきにしているのです。
 私はおいといって声を掛けました。しかし何の答えもありません。おいどうかしたのかと私はまたKを呼びました。それでもKの身体からだちっとも動きません。私はすぐ起き上って、敷居際しきいぎわまで行きました。そこから彼の室の様子を、暗い洋燈ランプの光で見廻みまわしてみました。
 その時私の受けた第一の感じは、Kから突然恋の自白を聞かされた時のそれとほぼ同じでした。私の眼は彼の室の中を一目ひとめ見るやいなや、あたかも硝子ガラスで作った義眼のように、動く能力を失いました。私は棒立ぼうだちにすくみました。それが疾風しっぷうのごとく私を通過したあとで、私はまたああ失策しまったと思いました。もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄ものすごく照らしました。そうして私はがたがたふるえ出したのです。
 それでも私はついに私を忘れる事ができませんでした。私はすぐ机の上に置いてある手紙に眼を着けました。それは予期通り私の名宛なあてになっていました。私は夢中で封を切りました。しかし中には私の予期したような事は何にも書いてありませんでした。私は私に取ってどんなにつらい文句がその中に書きつらねてあるだろうと予期したのです。そうして、もしそれが奥さんやお嬢さんの眼に触れたら、どんなに軽蔑されるかも知れないという恐怖があったのです。私はちょっと眼を通しただけで、まず助かったと思いました。(もとより世間体せけんていの上だけで助かったのですが、その世間体がこの場合、私にとっては非常な重大事件に見えたのです。)
 手紙の内容は簡単でした。そうしてむしろ抽象的でした。自分は薄志弱行はくしじゃっこうで到底行先ゆくさきの望みがないから、自殺するというだけなのです。それから今まで私に世話になった礼が、ごくあっさりとした文句でそのあとに付け加えてありました。世話ついでに死後の片付方かたづけかたも頼みたいという言葉もありました。奥さんに迷惑を掛けて済まんからよろしくわびをしてくれという句もありました。国元へは私から知らせてもらいたいという依頼もありました。必要な事はみんな一口ひとくちずつ書いてある中にお嬢さんの名前だけはどこにも見えません。私はしまいまで読んで、すぐKがわざと回避したのだという事に気が付きました。しかし私のもっとも痛切に感じたのは、最後にすみの余りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句でした。
 私はふるえる手で、手紙を巻き収めて、再び封の中へ入れました。私はわざとそれをみんなの眼に着くように、元の通り机の上に置きました。そうして振り返って、ふすまほとばしっている血潮を始めて見たのです。


「私は突然Kの頭をかかえるように両手で少し持ち上げました。私はKの死顔しにがお一目ひとめ見たかったのです。しかし俯伏うつぶしになっている彼の顔を、こうして下からのぞき込んだ時、私はすぐその手を放してしまいました。ぞっとしたばかりではないのです。彼の頭が非常に重たく感ぜられたのです。私は上から今さわった冷たい耳と、平生へいぜいに変らない五分刈ごぶがりの濃い髪の毛を少時しばらくながめていました。私は少しも泣く気にはなれませんでした。私はただ恐ろしかったのです。そうしてその恐ろしさは、眼の前の光景が官能を刺激しげきして起る単調な恐ろしさばかりではありません。私は忽然こつぜんと冷たくなったこの友達によって暗示された運命の恐ろしさを深く感じたのです。
 私は何の分別ふんべつもなくまた私のへやに帰りました。そうして八畳の中をぐるぐるまわり始めました。私の頭は無意味でも当分そうして動いていろと私に命令するのです。私はどうかしなければならないと思いました。同時にもうどうする事もできないのだと思いました。座敷の中をぐるぐる廻らなければいられなくなったのです。おりの中へ入れられたくまのような態度で。
 私は時々奥へ行って奥さんを起そうという気になります。けれども女にこの恐ろしい有様を見せては悪いという心持がすぐ私をさえぎります。奥さんはとにかく、お嬢さんを驚かす事は、とてもできないという強い意志が私をおさえつけます。私はまたぐるぐる廻り始めるのです。
 私はその間に自分の室の洋燈ランプけました。それから時計を折々見ました。その時の時計ほどらちかない遅いものはありませんでした。私の起きた時間は、正確に分らないのですけれども、もう夜明よあけもなかった事だけは明らかです。ぐるぐるまわりながら、その夜明を待ちこがれた私は、永久に暗い夜が続くのではなかろうかという思いに悩まされました。
 我々は七時前に起きる習慣でした。学校は八時に始まる事が多いので、それでないと授業に間に合わないのです。下女げじょはその関係で六時頃に起きる訳になっていました。しかしその日私が下女を起しに行ったのはまだ六時前でした。すると奥さんが今日は日曜だといって注意してくれました。奥さんは私の足音で眼を覚ましたのです。私は奥さんに眼が覚めているなら、ちょっと私のへやまで来てくれと頼みました。奥さんは寝巻の上へ不断着ふだんぎの羽織をけて、私のあといて来ました。私は室へはいるやいなや、今までいていた仕切りのふすまをすぐ立て切りました。そうして奥さんに飛んだ事ができたと小声で告げました。奥さんは何だと聞きました。私はあごで隣の室を指すようにして、「驚いちゃいけません」といいました。奥さんはあおい顔をしました。「奥さん、Kは自殺しました」と私がまたいいました。奥さんはそこに居竦いすくまったように、私の顔を見て黙っていました。その時私は突然奥さんの前へ手を突いて頭を下げました。「済みません。私が悪かったのです。あなたにもお嬢さんにも済まない事になりました」とあやまりました。私は奥さんと向い合うまで、そんな言葉を口にする気はまるでなかったのです。しかし奥さんの顔を見た時不意に我とも知らずそういってしまったのです。Kに詫まる事のできない私は、こうして奥さんとお嬢さんにびなければいられなくなったのだと思って下さい。つまり私の自然が平生へいぜいの私を出し抜いてふらふらと懺悔ざんげの口を開かしたのです。奥さんがそんな深い意味に、私の言葉を解釈しなかったのは私にとって幸いでした。蒼い顔をしながら、「不慮の出来事なら仕方がないじゃありませんか」と慰めるようにいってくれました。しかしその顔には驚きとおそれとが、り付けられたように、かたく筋肉をつかんでいました。


「私は奥さんに気の毒でしたけれども、また立って今閉めたばかりの唐紙からかみを開けました。その時Kの洋燈ランプに油が尽きたと見えて、へやの中はほとんど真暗まっくらでした。私は引き返して自分の洋燈を手に持ったまま、入口に立って奥さんを顧みました。奥さんは私の後ろから隠れるようにして、四畳の中をのぞき込みました。しかしはいろうとはしません。そこはそのままにしておいて、雨戸を開けてくれと私にいいました。
 それからあとの奥さんの態度は、さすがに軍人の未亡人びぼうじんだけあって要領を得ていました。私は医者の所へも行きました。また警察へも行きました。しかしみんな奥さんに命令されて行ったのです。奥さんはそうした手続てつづきの済むまで、誰もKの部屋へはれませんでした。
 Kは小さなナイフで頸動脈けいどうみゃくを切って一息ひといきに死んでしまったのです。ほかきずらしいものは何にもありませんでした。私が夢のような薄暗いで見た唐紙の血潮は、彼の頸筋くびすじから一度にほとばしったものと知れました。私は日中にっちゅうの光で明らかにそのあとを再びながめました。そうして人間の血のいきおいというもののはげしいのに驚きました。
 奥さんと私はできるだけの手際てぎわと工夫を用いて、Kのへやを掃除しました。彼の血潮の大部分は、幸い彼の蒲団ふとんに吸収されてしまったので、畳はそれほど汚れないで済みましたから、後始末は[#「後始末は」は底本では「後始未は」]まだ楽でした。二人は彼の死骸しがいを私の室に入れて、不断の通り寝ているていに横にしました。私はそれから彼の実家へ電報を打ちに出たのです。
 私が帰った時は、Kの枕元まくらもとにもう線香が立てられていました。室へはいるとすぐ仏臭ほとけくさけむりで鼻をたれた私は、その烟の中にすわっている女二人を認めました。私がお嬢さんの顔を見たのは、昨夜来さくやらいこの時が始めてでした。お嬢さんは泣いていました。奥さんも眼を赤くしていました。事件が起ってからそれまで泣く事を忘れていた私は、その時ようやく悲しい気分に誘われる事ができたのです。私の胸はその悲しさのために、どのくらいくつろいだか知れません。苦痛と恐怖でぐいと握り締められた私の心に、一滴いってきうるおいを与えてくれたものは、その時の悲しさでした。
 私は黙って二人のそばに坐っていました。奥さんは私にも線香を上げてやれといいます。私は線香を上げてまた黙って坐っていました。お嬢さんは私には何ともいいません。たまに奥さんと一口ひとくち二口ふたくち言葉をわす事がありましたが、それは当座の用事についてのみでした。お嬢さんにはKの生前について語るほどの余裕がまだ出て来なかったのです。私はそれでも昨夜ゆうべ物凄ものすごい有様を見せずに済んでまだよかったと心のうちで思いました。若い美しい人に恐ろしいものを見せると、折角せっかくの美しさが、そのために破壊されてしまいそうで私はこわかったのです。私の恐ろしさが私の髪の毛の末端まで来た時ですら、私はその考えを度外に置いて行動する事はできませんでした。私には綺麗きれいな花を罪もないのにみだりにむちうつと同じような不快がそのうちにこもっていたのです。
 国元からKの父と兄が出て来た時、私はKの遺骨をどこへめるかについて自分の意見を述べました。私は彼の生前に雑司ヶ谷ぞうしがや近辺をよくいっしょに散歩した事があります。Kにはそこが大変気に入っていたのです。それで私は笑談じょうだん半分はんぶんに、そんなに好きなら死んだらここへ埋めてやろうと約束した覚えがあるのです。私も今その約束通りKを雑司ヶ谷へほうむったところで、どのくらいの功徳くどくになるものかとは思いました。けれども私は私の生きている限り、Kの墓の前にひざまずいて月々私の懺悔ざんげを新たにしたかったのです。今まで構い付けなかったKを、私が万事世話をして来たという義理もあったのでしょう、Kの父も兄も私のいう事を聞いてくれました。