どうしたね けふは又妙にふさいでゐるぢやないか その火事のあつた翌日です僕は巻煙草を啣へながら僕の客間の椅子に腰をおろした学生のラツプにかう言ひました実際又ラツプは右の脚の上へ左の脚をのせたまま腐つた嘴も見えないほどぼんやり床の上ばかり見てゐたのですラツプ君どうしたねと言へばいやつまらないことなのですよ︱︱ ラツプはやつと頭を挙げ悲しい鼻声を出しました僕はけふ窓の外を見ながらおや虫取り菫が咲いたと何気なしに呟いたのですすると僕の妹は急に顔色を変へたと思ふとどうせわたしは虫取り菫よと当り散らすぢやありませんか おまけに又僕のおふくろも大の妹贔屓ですからやはり僕に食つてかかるのです虫取り菫が咲いたと云ふことはどうして妹さんには不快なのだねさあ多分雄の河童を掴まへると云ふ意味にでもとつたのでせうそこへおふくろと仲悪い叔母も喧嘩の仲間入りをしたのですから愈大騒動になつてしまひましたしかも年中酔つ払つてゐるおやぢはこの喧嘩を聞きつけると誰彼の差別なしに殴り出したのですそれだけでも始末のつかない所へ僕の弟はその間におふくろの財布を盗むが早いかキネマか何かを見に行つてしまひました僕はほんたうに僕はもう ラツプは両手に顔を埋め何も言はずに泣いてしまひました僕の同情したのは勿論です同時に又家族制度に対する詩人のトツクの軽蔑を思ひ出したのも勿論です僕はラツプの肩を叩き一生懸命に慰めましたそんなことはどこでもあり勝ちだよまあ勇気を出し給へしかししかし嘴でも腐つてゐなければそれはあきらめる外はないささあトツク君の家へでも行かうトツクさんは僕を軽蔑してゐます僕はトツクさんのやうに大胆に家族を捨てることが出来ませんからぢやクラバツク君の家へ行かう 僕はあの音楽会以来クラバツクとも友だちになつてゐましたから兎に角この大音楽家の家へラツプをつれ出すことにしましたクラバツクはトツクに比べれば遥かに贅沢に暮らしてゐますと云ふのは資本家のゲエルのやうに暮らしてゐると云ふ意味ではありません唯いろいろの骨董を︱︱タナグラの人形やペルシアの陶器を部屋一ぱいに並べた中にトルコ風の長椅子を据ゑクラバツク自身の肖像画の下にいつも子供たちと遊んでゐるのですけふはどうしたのか両腕を胸へ組んだまま苦い顔をして坐つてゐましたのみならずその又足もとには紙屑が一面に散らばつてゐましたラツプも詩人のトツクと一しよに度たびクラバツクには会つてゐる筈ですしかしこの容子に恐れたと見えけふは丁寧にお辞宜をしたなり黙つて部屋の隅に腰をおろしましたどうしたね クラバツク君
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